【地域情報化の現場から】
第26回地域の力で映画作りに取り組む~熊本市の映画革命HINAMI~

撮影現場辛島公園前交差点から見える熊本城
 撮影現場辛島公園前交差点から見える熊本城
 九州のちょうど中心に位置する熊本市。日本三名城の熊本城が、熊本市で暮らす人々見守り続けている。史跡と日常がつながっているこの街で、映画と日常をつなげるプロジェクトが始まった。「HINAMI~映画革命」、素人参加型というユニークな映画制作だ。

プロの世界を日常に

 名前「HINAMI」(ひなみ)の名前の由来は、「毎日そのことをすること」という意味の古語「日並み」から。この古語どおり、HINAMIは映画づくりに携わることを人々の日常の一部にしている。というのも、脚本づくり、キャストオーディション、撮影、編集、上映会開催、という映画制作過程それぞれが、映画制作未経験者に対して非常にオープンなのだ。

 HINAMIの脚本作りは、春のアイデア公募から始まる。まず、400字程度の脚本の種・アイデアを、主にメールで全国から集め、同時に熊本市内ではアイデア出しのワークショップも行う。そうして集まったアイデアを、熊本市内の公民館とネット上で公開投票し、首位に輝いたアイデアを脚本化する。寄せられたアイデアは、1年目の去年は40本ほどだったが、2年目の今年は500本を超えた。脚本の公募となるとハードルが高いが、それを「400字程度の脚本の種・アイデア」の公募とするだけで、圧倒的に参加しやすくなるのだ。

 ユニークなのは脚本作りだけではない。キャストオーディションは、「映画制作未経験者の参加も大歓迎!」と謳い、熊本・大阪・東京の3カ所で開催する。その上、「審査する側とされる側を同じ土俵に」と、受験者の即興劇に審査員も参加する。また、受験者はオーディション会場の待ち時間に脚本を読み、赤ペンで自由に意見や修正を加えていく。このような素人も混じった加筆修正は、撮影直前まで続く。今年のオーディション受験者は650人に上った。昨年度の300人の倍以上だ。  HINAMIを立ち上げた黒川裕一さんは言う。「たとえ素人のアイデアでも、数さえ集めれば光るものが1個は絶対にある。オーディションも同じ。集めて初めて、いい人“も”いるようになる。選択肢が生まれる。だからHINAMIはこれからも徹底して数にこだわり続けます」。2007年度のオーディション動員目標は1000人だ。

 脚本とキャストが決まると、8月の2週間で撮影する。夏休み中の子どもが出演しやすいように、2週間なのは社会人も有給休暇期間内で安心してHINAMIスタッフになれるように、という配慮からだ。撮影と大まかな編集を終えると、ラフカット上映会を何度も催して参加者の声を編集に反映させていく。

 こうしてできあがった初めての作品は、2006年1月28日に、熊本市民会館で上映した。これには3000人近い観客が集い、自主制作作品の発表としては熊本市民会館始まって以来の動員数と評された。その後、2006年3月23日に東京ウィメンズプラザにて、続いて同月26日にひと・まち交流館京都にて上映会が行われ、いずれもほぼ満席。一作目の自主制作映画としては異例の人数だった。今年撮影した新作の上映会は2007年2月24日に熊本県立劇場で開催予定だ。


「HINAMIとはお祭りです」

実行委員長の三州千晶さん
 実行委員長の三州千晶さん
 「HINAMIとはお祭りです」と実行委員長の三州千晶さん。「お祭りって、人が集まる。人が昂揚する。映画制作未経験者がほとんどの“ヒナミな人たち”の日常に、エキストラとして映画に出演することだとか、オーディションだとか、ロケのための何とやらだとか、そういう非日常感のあるイベントが入ってくることで、単純にわくわくするんです。映画という世界に対しての漠然とした憧れもあるでしょうけど、知らない人同士・異世代同士が、同じ立ち位置で活動する体験という珍しさが大きいと思います。10代と20代と30代と40代と50代の他人同士が同時に何かする場って、なかなかないでしょう。職場とも家庭とも違う場・人間関係をHINAMIが生み出していて、それを楽しんでくださる人がHINAMIに関わってくださっているんです」と解説する。「でも、本来このような場がお祭りだけである必要は全くない。多様な人がともにわくわくする場を毎日のように設けることが、HINAMIの目標であり、このプロジェクト名にこめられた願いです」

今年は『みんなの日記』

 今年のHINAMIの作品は、「みんなの日記」というノートをめぐる群像劇だ。旅館や観光名所に置いてあるような「どなたでもお書き込みください」というノートが町なかに置いてあり、1ページ目には「これはみんなの日記帳です。ご自由にお書き込みください。書き終わったら、お出かけのときなどに人目のつく場所に戻しておいてください。次の人のために。できれば、雨に濡れない場所に」というインストラクションが書いてある。

 第1話は、親に捨てられ大人不信のかたまりになった小学校高学年の少年・トキオが、二十歳を過ぎて仕事もなくふらふらしている青年・桃太郎と偶然知り合い、「まぼろし堂」という伝説の駄菓子屋を探す物語。ふれあいを通してトキオは「桃太郎のようになりたい」と感じ、桃太郎はそんなトキオの気持ちに触れることで、遅ればせながら社会人としてスタートを切る。

 第2話は、娘を突然の事故で亡くした元夫婦の物話。夫・礼一は仕事中心で、無神経ではないまでも、やや鈍感な中年男性。感情の起伏が激しい妻・和歌子とうまくいかず、離婚。中学1年生になる娘・香住は、和歌子とともに細々と生活していたが、門限を守ろうと帰り道を急ぎすぎ、事故に遭って死んでしまう。後に残されたのは、母にあてたプレゼントとバースデーカード。自責の念に駆られる和歌子が、あるきっかけによってプレゼントの箱を開ける決心をする。

 第3話は、実力も実績もないのに虚勢を張ることだけは一人前のサラリーマン、出口の物話。年齢は30歳前後。ある日、流行の占い師に軽い催眠をかけられ、よく行く古本屋の若い店員・久美子が自分の「運命の人」だと確信。猛烈な勢いで追いかけるが、彼女は彼に古本を次々と、しかも法外な値段で売りつける。占い師にも久美子にもだまされ、ぼろぼろになった出口は、ようやく自分の弱さや脆さを認め、殻を破り、一歩前に進むことができる。

 「誰でも参加できる脚本づくり」によって生まれた「誰でも書き込めるノート」というストーリー。主役を取り囲む登場人物たちも多様さをとっても、私たちの現状を切り取ったものとそっくりだ。『みんなの日記』は、HINAMIの映画の暗喩になりうるのではないか。


楕円のリーダーシップ

 8月下旬、HINAMIは熊本市内の路上で撮影をした。気温は35度。コンクリートはぎんぎんと太陽を照り返し、ペットボトルの水はみるみるうちにぬるま湯になっていく。立っているだけで肌がじりじりと焦げていくのがわかる。カメラを囲むスタッフたちは誰もが日焼けで真っ黒だ。

 20人強の撮影グループのうち半分が素人でありながら、今年のHINAMIは13日間で2時間弱の長編映画を撮りきった。初年度の撮影期間の18日間を約3分の2に縮めた。
 「目安にしとったとは、朝の6時集合、7時から撮り始め、夕方6時上がり。要は、拘束12時間ですよね。2週間とはいえ続けなきゃいかんとだけん、一日15時間16時間拘束しとったら、持たんですよ。」と、撮影統括の黒川さんは達者な熊本弁で笑う。

 多様な人々が集まりながらも、手際よく映画を撮る秘訣はこの二点だ。一点目が、実行委員長である三州千晶さんの存在。二点目が、「任せた以上、任せる」という徹底した分業。

撮影統括の黒川裕一さん
 撮影統括の黒川裕一さん
 素人もどんどん制作に関わるHINAMIだが、撮影統括の黒川さんはかなりの玄人。20代から米国で映画制作の経験を積み、『30秒 犠牲者3』で“サンダンス・NHK国際映像作家賞2004”ファイナリストとして各大陸の最終候補作品計12本に選ばれるなど、世界で活躍している。実力を背景にHINAMIの運営も戦略的だ。

 実行委員長の三州さんは「カリスマ主婦」という言葉がぴったり。普段は主婦で、カラーコーディネーターの資格を活かして専門学校で講義をしたり、バレエの経験を活かして子育てサークル「フレッシュママ」でバレエエクササイズ講師をしたり、多方面で大活躍している。

 二人は黒川さんが講師を務める映画を教材とした英語教室「電影えいご室」で出会い、3年来の友人。

 HINAMIの撮影グループは皆「実行委員長は三州千晶さんでなければ絶対に務まらなかった。」と口を揃えて言う。
 黒川さんは言う。「単純にプロ集団を作って、前を向いて一直線に走るだけだったら、リーダーシップの強い人が一人でどんどん仕切っちゃえばそれで終わり。でも、『雑多な人たちが集まってワイワイと何かやろう。その中から何が出てくるか見極めよう。』という趣旨でやるのであれば、それだけではいけない。正論だけで引っ張られたら、人はきついでしょう。そこにはある種の和みであったり、遊びであったりが絶対に必要です。千晶さんは、そこにいるだけで周りが和めるし、何より聞き上手なんです。僕の役割は、『俺もやるからおめぇもやれよ!』とみんなを叱咤激励すること。三州さんは『黒川さんはあぎゃんことば言いよらすばってん、あんま根には持たっさんけん心配せんちゃよかよ』とか、きちんとフォローする役割をこまめにやってくれる。喩えるなら、楕円なんです。HINAMIは、楕円型のリーダーシップがうまく機能している。楕円って、中心が二つあるでしょう。円は一つでしょう。これからのリーダーシップは、ピラミッドの頂点に誰か立っていわば円運動を起こすんじゃなくて、むしろ2極3極をつくっていかに上手に楕円をつくるかなんですよ」

 一方の三州さんは、「クロカワさんと私は、前世ではきっと親子でしたよ(笑)映画をつくろうと思えば、誰にでもストレスのかかることはいっぱいあります。仲間の涙を見るのは、正直に言うとつらいです。でも、そんなになるまで誰もがいっぱいいっぱいになれる場って、きっと他にはない。大変な思いはたくさんしますが、例えばそれを経て迎えるクランクアップの瞬間なんか、かけがえのない幸せです。撮影に限らずプロモーションなど、HINAMIには課題や不安がたくさんありますが、それでこそHINAMIは楽しいと、心の底から楽しいと、思っています」と述べる。


「任せる以上、任すんだ」

 HINAMIには、映像、照明、音声、衣装、ヘアメイク、小道具、ロケ地、キャストとエキストラ、各部門に最終責任者が一人ずついて、徹底した分業で撮影を進める。撮影統括の黒川さんは「監督=指導する人」でなく、あくまでも「まとめ役=コーディネートする人」という立場だ。

小道具の最終責任者 正高佑志さん
 小道具の最終責任者 正高佑志さん
 小道具の最終責任者、正高佑志さんは熊本大学2年生。やはり映画制作は未経験だった。しかし、撮影に使う小道具全てを撮影前に集め、撮影時に運び、撮影後に返却するという一連の仕事を立派にこなした。「撮影現場はバンドのジャムセッションに似ている。」と正高さん。

 「徹底的に任せられて、誰も僕に何も言わないの。それで『僕が決めて、もしだめなら差し替えよう』と開き直ったことで、僕の感性で遊ぶ余裕が生まれました」

 小道具の一つに水槽があった。正高さんは業者と協力して本格的な水槽を用意した。脚本では、出口という登場人物の住む部屋の真ん中に水槽があるといういささかリアルさを欠いた設定だったが、あまりに見事な水槽だったおかげで、出口が部屋の真ん中に置きたくなるのにもうなずけるようになった。「佑志くんの水槽のおかげで画面が締まった」と撮影チームにも大好評だった。

 黒川さんは言う。「人にぶらさがって、ただ指示出しを待っているのでは、合格点の水槽しか持ってこないですよ。でも、佑志くんはあんなにすばらしい水槽を持ってきてくれました。他のみんなも色んな場面でそれはそれはすばらしい動きをしてくれました。こういうのは、『自分が責任者なんだ。自分が決めるんだ。自分がやらないと細かい指示まで出してくれないんだ。』とわかってるからやるわけでしょう」

 「人って、指示を待っているうちは合格点のものしか出しません。指示でなく自分で動いて初めて、合格点なんて念頭に置かずに自分の120点を目指すようになります。僕の仕事は、映像、照明、音声、衣装、ヘアメイク、小道具、ロケ地、キャストとエキストラ、全員の総和が最大になるようにコーディネートすることです。それで『任せる以上、任すんだ。』と思っています。徹底的に任せられると、人はやる気が出るでしょう。だから僕は誰にも何も言いません」

 一方の正高さん。「いつのまにどうやって責任意識を植え付けられたかっていう点が大事なんだろうけど、実はよくわからない。ただ、『小道具の責任者は僕なんだ』と気が引き締まる場面は何度もありました。で、何かミスをしても、「ここは自分の責任だ」と思えるからパッとすぐに謝ったり、対処したりできる。いつもそうです。ミスを認めて謝る。みんなが助けてくれる。信頼が生まれる。こうして、責任がうやむやなまま進まないから、気持ちよく撮影が進むんです」
 「なまじ力ある人って、全部自分でやった方が早いけど、でもそこで我慢して任せる忍耐力という点において、黒川さんの偉大なところの一つがあると思う」


その日の成果がその日に見える

 「まちづくりを肌で学びたいと思ってHINAMIに関わり始めました」――政治に強い関心を持つサラリーマン井芹文義さんは、撮影ではロケ地の最終責任者を務めた。井芹さんにとっては映画自体よりも、映画をつくるのに熊本市民を巻き込んでいく過程こそが面白くて仕方ないのだという。

 「夕方に事務所で僕が千晶さんたちと翌日の撮影の段取りをしている間、すぐ隣では黒川さんが、その日に撮った映像を片っ端から編集していきます。僕らが苦労して撮ったものが、形になっていくのを真横で見ることができるんです。僕にとって撮影が初めてで、僕のミスも多く、その度に人に支えられたのが有難いと同時に、少し情けなかった。でも、撮れたものが作品になっていくのを見ると、明日の撮影も頑張ろうとやる気が湧くんです」

 事実、編集で映像の全体像をつかむために一旦最後までつなぐ作業にはあまり時間がかからないそうだ。撮影期間中にそのほとんどが済んでしまう。時間がかかるのは、全体像をつかんだ後の映像の調整と、音の挿入だ。

 黒川さんは言う。「日々成果が見えるってすごく大事なことだと思う。映画づくりがめちゃめちゃ楽しいイベントになりうるのはその特性において必然です。なぜって、自分たちが協力して一致団結したものが、きちんと形になるでしょう。例えば、絵を描くのがなぜ楽しいかというと、最終的に描きあげたものを自分で見られるから。『とりあえず出来上がった絵は自分で見ることはできませんけど描きなさい』言われたら、描く意欲が半減するでしょう。みんなが力を合わせた成果を日々確認できて、その上、日々の成果が組み合わさって最終的には大きな作品になる。そこにはやっぱり夢とか、希望とか、ロマンがあるんです。そういうものでないと、人は動かないよ」


来年もまたやりたい 来年まで待てない

撮影はどの日も無事に日程通りに終了し、クランクアップの瞬間は涙の嵐だった。

カメラマンの山野道郎さん
 カメラマンの山野道郎さん
 カメラマンの山野道郎さんは、普段からCMや映画のカメラを担当しているプロだ。クランクアップを迎えた日の夕方、こう言った。 「撮りこぼしのある撮影は、どぎゃん言って慰めたっちゃ、やっぱり心残りですよ。HINAMIは今年も撮りこぼしなく撮影できて、僕はいま充実感いっぱいだし、他の仲間も絶対そうです」

 黒川さんは言う。「一生懸命がんばって、最後に感動の瞬間を分かち合えれば、途中に多少大変なことがあっても、人はまたやりたくなるんです。どんどん新しい人に入ってきてもらいたいけど、今年やった人が『来年もやりたい、来年が待ち遠しい』と思ってくれることがやっぱり大事。そういう撮影体験をみんなに分かち合ってもらうことが、僕のリーダーとしての使命です」

クランクアップ
 クランクアップの拍手に頭を下げる黒川さん
 実際、クランクアップした途端に何人ものメンバーが「来年もまたやりたい」と声をかけ合っていた。それだけでなく、山野さんをはじめ来年の夏まで待てないメンバーが集まって冬に映画を撮ること、それがHINAMIのB面として収録することが決まった。

 「1年目と比べて、撮影の手際もどんどんよくなっていますし、撮る絵もすごく洗練されてきています。だから、続ければもっともっと伸びるに違いありません。その上、今年から年に2本のペースで撮ることになりました。これだけのことを毎年2回3回とやり続ければ、僕らが日本一のチームに育つのは時間の問題だと、僕は信じています」と黒川さんは強気だ。2年目を迎えたHINAMIの進化は止まらない。


経営が希望を育てる

 HINAMIの今年度の撮影費用は300万円弱。初年度は約600万円。初年度の実績が認められ、飲食物、ガソリン、キャストの宿泊、撮影用のテープなど、地元の企業や個人からさまざまな協賛をもらった。その上、手際よく撮影を進め、撮影期間が短縮できたので、撮影チームの日給を昨年より5日分減らすことができた。

 黒川さんは言う。「HINAMIの継続と発展のためには、経済的に健全でなければいけません。それが今年しっかり実現できているのは皆様のご協力の賜物です。心から感謝しています。こうしてお金が循環し、いずれ雇用が発生し、それが最終的に、大きな希望につながると思うから」

 好きなことをみんなで楽しみながら行うと、街に活気が出てきて、しかもビジネスとしても成り立つ。理想的だが、それは理想でも夢でもなく現実だと、これからHINAMIは証明してくれる。

(坂崎あゆみ=慶応義塾大学 環境情報学部 2年)


評価と課題

 日経地域情報化大賞では、2005年に、愛媛県西条市で合併記念映画『恋まち物語』を撮影したFireWorksを「日経MJ賞」に選んだ。FireWorksは、2002年に福島県白河市で『らくだ銀座』を撮影し、地域と一体になった映画作りを続けている。2006年には東京・東大和市で『人生ごっこ!?』を完成させた。
 「映画で街づくり」は10年ほど前から、各地でそうした発想が起こり、ロケ地を誘致するフィルムコミッションが札幌、横浜、長崎など全国に100近く設立されている。  フィルムコミッションは、映画のロケーションを誘致し、映画の舞台として町をクローズアップしてもらおうというもの。主役は「町の風景」だ。
 一方でFireWorksは、地元の人々を映画に出演させたり、撮影の手助けをしてもらって、一体感を出している。
 HINAMIは、さらに進んで、熊本市に居座る形で、映画作りに取り組んでいる。

 古くからある地域コミュニティーでは、氏神様の祭りが、統合のシンボルだった。しかし、都市化と世代交代で、祭りが消えた町も多い。HINAMIの三州千晶さんが「HINAMIとはお祭りです」というのは、現代人の感覚で、映画の本質を捉えた言葉だといえる。
 映画作りは、作って楽しみ、見て楽しみ、さらに多くの人に見せることで、多数の人を渦に巻き込んでいける。機材なども安くなっており、今後はこうした地域での映画作りが広がりそうだ。
 ハリウッドのような、大作を撮影して世界中にビジネスを広げるスタイルは、簡単にはまねが出来ない。それよりも地域の中で映画を作りながら、地域の問題を考えるというのは、とてもいいことだと思う。
 このようなアプローチが広がり、地域と地域が競い合うような形でクオリティが向上し、チームワークが形成されていけば、新しい日本文化の発信形式にもなりそうだ。ぜひがんばって続けていき、人材を育ててほしい。
 黒川裕一さんの「任せる」スタイルは、こうした映画作りのキーポイントを示している。

(坪田知己=日経メディアラボ所長/慶応義塾大学大学院特別研究教授)


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