【ネット時評 : 楠 正憲(マイクロソフト)】
日本のクラウド振興策をお題目で終わらせないために~インターネットのトリレンマ(6)

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 政府のIT戦略としてクラウド・コンピューティングが脚光を浴びている。緊急経済対策の一環として総務省は電子行政クラウド(仮称「霞が関・自治体クラウド」)などの推進を打ち出し、海外のクラウド事業者が日本にサーバーを置くための環境整備についても検討を始めた。経済産業省も補正予算にグリーン・クラウドコンピューティングの整備費用を盛り込み、国内55社と共同でデータセンター技術の研究開発を進めると報じられた。(本稿は「NIKKEI NET IT PLUS」に掲載したものです)
 

 ここ数年、インターネット向けサービスでクラウド・コンピューティングの存在感は急速に高まった。米国ではソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)のオープン化を活かしてFacebookウィジェットなどで急成長するベンチャーが相次ぎ登場しているが、これもインフラの外部委託により急なアクセス増にもサービスを止めずに対応できるからである。

 日本でも情報処理推進機構(IPA)の「未踏ソフトウェア創造事業」に採択された「グーグル八分発見システム」など、政府助成案件で海外のクラウドを活用する動きがみられるようになった。最近ではセールスフォース・ドットコムが定額給付金を配布する自治体向けに管理システムを売り込んだ。


■データセンターが海外に置かれることのハンディ

 クラウドの運営事業者はグーグル、アマゾンなど米国に集中している。日本に米国のような大規模データセンターが置かれていないことについて、法執行や情報管理などの観点から懸念する声は多い。実際、いくつかの点で国内事業者や政府にとって不利になるのは明らかだ。

 例えば動画配信サイトを視聴する場合、日本国内でコンテンツがアップロードされ、視聴者が日本人なら、トラフィックは日本で完結する。ところがコンテンツが米国のサーバーに置かれると、コンテンツのデータは太平洋を往復してしまう。2006年ごろから動画配信サイトの普及に伴って、国際間のトラフィックの伸び率が高まったのは記憶に新しい。

 日本のインターネット・サービス・プロバイダー(ISP)は米国のインターネットにつなぐために、日米間の国際回線と、上位のISPに対して接続料を支払う必要がある。本来は日本で完結すべきトラフィックが米国を経由すると、ISPに余計な通信費用が生じ、最終的には日本の消費者の負担となってしまう。日本は中国やロシアとも国際海底ケーブルにより結ばれているのだが、ISP間で相互接続がないために米国経由で通信することが多い。ここでも日本のISPが米国の上位 ISPに通信料を支払うことになる。


■日本に大規模データセンターがないのはなぜか

 日本にサーバーを置かないのには相応の理由がある。日本は著作権法が厳しくキャッシュが複製に当たるとの解釈もある。先の動画配信サイトの場合もそうだが、日本のサーバーにコンテンツを置くのは法的リスクが高いと考えられている。検索エンジンのサービス提供に必要なインディックス作成が、著作権法で認められたのも今年に入ってからのこと。手をこまぬいている間に検索エンジン事業者のサーバーは日本から逃げだし、検索技術者たちも外資系企業に流出してしまった。

 問題は著作権法だけではない。SaaS(Software as a Service)方式で利用料を取ってクラウドにデータを預かる場合、データには資産価値があり、海外への複製は輸出に当たる可能性がある。米国は国内に複数のデータセンターがあり、欧州は域内で自由貿易協定(FTA)が結ばれているので問題ない。しかし、日本はFTAで出遅れており、一度日本のデータセンターに移した情報をデータのバックアップや移行のために海外に持ち出す場合の扱いが明確になっていない。

 昨年12月の出会い系サイト規制法改正では、異性交際を目的に利用できるサービスを幅広く「出会い系サイト」と定義し、届け出と加入時の年齢確認を義務づけた。人と人のつながりを生むソーシャル機能を持つB2Cサービスは、多くが規制の対象となる可能性がある。来月からは薬事法施行規則の実施を受けて、これまで可能だった医薬品のネット販売が規制される。日本に事業の拠点を持ち、サーバーを置くことのデメリットやリスクはあまりに大きい。


■周辺環境のコスト競争力でも出遅れ

 日本にサーバーを置くのが難しい理由は規制だけではない。電気代や通信料、人件費、土地代も諸外国と比べて高い。大手クラウド事業者の大規模データセンターでは、1人あたり5000台から6000台という単位で廉価な汎用サーバーを効率的に管理する。サーバーの減価償却費や運用保守の人件費よりも電気代の占める割合が大きいことから、水力発電所を買収して電力を確保するといった動きもある。

 日本は送電網が自由化されておらず、米国のように賢く電力を確保してコストを抑えるのが難しい。グリーンITというと日本では社会貢献としての意義やPUE(Power Usage Effectiveness)といった性能指標ばかり意識されがちだが、米国ではクラウド・コンピューティングのコスト競争力を高めるうえで重要な要素となっている。


■技術で追いつけば勝てるのか

 政策対象としてクラウド・コンピューティングが注目されることで、こういった日本の制度的課題が洗い出され、解決へ向けた道筋が検討されるのは歓迎すべきだ。一方、クラウド事業者が米国に集中している点について、日本のITベンダーがクラウド技術を持っていないからだという見方があるとすれば、これも早計だろう。

 クラウド構築に必要な個別技術について計算機科学者と議論をすると、「研究テーマとしては1980年代に出尽くしている」とコメントされることがある。大規模データベースや分散処理など、必要な技術は早くから開発されていたという。この指摘について、2つの仮説を立てることができる。

 1つは、一般にクラウド・コンピューティングの構成技術として公表されている技術が、クラウドを構成する要素技術の全てではない可能性だ。論文や特許として公表されていないノウハウが、クラウド事業者各社に蓄積されているのかもしれない。もう1つは、クラウド・コンピューティングがテクノロジー・イノベーションではなく、ビジネス・イノベーションだという可能性である。


■ベンダーでなくユーザーが牽引したクラウド技術

 クラウド技術で象徴的なことの1つは、ITベンダーではなく、ITユーザーが技術革新を牽引している点である。アマゾンは電子商取引サイト、グーグルは検索サイトの事業者で、もともとITベンダーではない。両社とも自社で大規模サービスを運用し、そのサービスを支えるインフラのコストを削減するためにクラウドを内製するようになった。

 各社ともデータの保存や処理を分散し、運用ツールを工夫して、廉価なPCサーバーを大量に連携させることでハードウエアや運用のコストを抑えた。実現すべきサービスが明確で、上から下まで社内で調整したからこそ、割り切った仕様で低コスト・高性能のインフラを構築できた。最初から社外に提供することを目的としていたら機能を絞り込めず、運用サポートやテストの項目も膨大となって、これほど迅速な発展は見込めなかっただろう。

 今後クラウド事業者は企業向けにカスタマイズ可能なサービスを提供し、一方のITベンダーもクラウドを意識して製品・サービスを展開するなかで、両者の市場が重なっていくことも予想される。クラウド・コンピューティングの経済性が個別のシステム構築案件で発揮されるのか、政府がITベンダーのクラウド技術開発を支援したとして、どういったかたちで今後に活かせるのかなど、考えるべきテーマは少なくない。


■クラウド振興策への期待と不安

 政府自身がクラウドの利用者となる動きは、前述したようにすでに始まっている。政局が流動化しているため、先の定額給付金や高速道路の料金割引のように、急に決まった政策をITがサポートするという局面も増えるだろう。ITベンチャーが必要としているのと同様な俊敏さを政府も必要としており、その際、クラウドは大きな武器となり得る。各省庁や自治体でばらばらに整備してきたインフラを、数カ所のデータセンターに集約するだけでも、大幅なコスト削減とエネルギー効率改善の効果を期待できる。

 一方で課題も山積している。政府や自治体のサービスの多くは古いメーンフレーム上の独自システムとして構築されている。開発言語や文字コード、外字もばらばらに管理されており、システムの集約は一筋縄ではいかない。まずは喫緊の新規案件からクラウド上で構築し、既存システムの集約は段階的に行うのが現実的と考えられる。

 これまでもエンタープライズ・アーキテクチャーや、自治体ASP・SaaSといったお題目で、政府・自治体システムの刷新・集約は推進されてきたが、クラウド政策がこうした動きを後押しするのか、あるいは巨大なデータセンターとクラウド基盤だけが整備され、既存のシステムが手つかずで残ってしまうか、注意深く見守る必要がある。


■地道な取り組みで国際競争力を高めよ

 仮にクラウド政策が功を奏して政府・自治体のシステムが日本国内のクラウドに移行したとしても、国民や企業の大切な情報が引き続き海外クラウド事業者にも保存される状況は変わらないだろう。だが、海外クラウド事業者が、少なくとも日本向けのサービスについては日本にサーバーを置けるようにすることが、日本の事業者がハンディなく世界に打って出る環境の整備にも繋がる。

 そのためにも前述した制度的課題、経済的課題を段階的に解消していくことが重要だ。このままでは日本国内の事業者や技術者までが厳しい規制と高コストを嫌気して、サーバーを米国のクラウドに置き、あるいは米国に移住しかねない。

 クラウドの研究開発に短期的な予算をつけることはできても、運用費の恒常的な補助までは難しい。長期的には、経済的な基礎条件を地道に改善していく必要がある。短期的な研究開発助成だけでなく、ネット上のサービスに対する規制の国際調和を図りつつ、立地の国際競争力を高める着実な取り組みこそ重要ではないか。
 
 

<筆者紹介>楠 正憲(くすのき まさのり) マイクロソフト 法務・政策企画統括本部 技術標準部 部長 
1977年、熊本県生まれ。ECサイト構築や携帯ネットベンチャー等を経て、2002年マイクロソフト入社。Windows Server製品部Product Manager、政策企画本部技術戦略部長、技術統括室CTO補佐などを経て2009年より現職。

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