【ネット時評 : 江川 央(デジタルメディア・コンサルタント)】
アマゾン「Kindle」が示す電子書籍ビジネスの可能性

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 アマゾンが昨年11月に発売した電子ブックリーダー「Kindle」。短期間で超品薄となり、一時はネットオークションサイトのebayで倍以上の価格で取引されるなど、多くの話題をさらった。今年に入ってようやく生産が需要に追いつき、4月に販売を再開したので、私も試しに購入してみることにした。
 

 試しに、と書いたのは、他の電子製品の多くと同じように、同製品も一カ月以内の無償返品期間が設けられているからである。消費者保護が過度といっても良いほど徹底されている米国では、商品の返品が日常茶飯事で、例えば休暇前にビデオカメラを買い、散々楽しんだ後に返品する人がいるほどで、消費者が甘やかされる局面も多々見られる。しかし今回のKindleのように、全く新しいコンセプトの商品を販売する際に、買い手側の購買決定の敷居を低くするという効果もあるようだ。「気に入らなかったら返せばいいか」――。今回、私の取った行動は、まさにその典型と言ってもいい。


Kindleの使用感

 注文から2日で商品は届いた。359ドルの本体価格に配送料は含まれている。パッケージを開けてみると、ちょうどハードカバーの本をくり抜いたような形で、右側に本体が、左側にアクセサリーが収まっている。充電を終え、スイッチを入れてみると、白の背景に黒で鮮明な文字が浮かび上がった。画面にギラツキ感もなく、目に優しい印象である。

 コンテンツはアマゾンのウェブサイトもしくは本体から、書籍はもとより、フォーブスやタイム、フォーチュンといった雑誌の電子版、もしくはウォールストリート・ジャーナルやニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポストといった各新聞社の電子版も注文でき、ワイヤレスで本体にデリバリーされる。コンテンツ受信にあたり、ホットスポットのようなインターネットの接続環境は特に必要ない。アマゾンが米国の通信会社大手のひとつ、スプリントと提携しており、同社が張りめぐらす携帯電話用の高速ネットワークを通じて提供されるためだ。例えば、毎日情報が更新される新聞などは、本体のスイッチを入れたままにしておけば、朝、出かけるまでに最新のニュースが本体に届いているという仕組みになっている。

 商品デザインは、率直なところ垢抜けない印象が拭い切れない。本体下部についているキーパッドは、主にコンテンツの検索や購入に使われるが、それがKindleから「本らしさ」を奪い取ってしまい、無機質なイメージを与えてしまっている。感覚的には、MP3プレイヤーが出始めたばかりのころに感じた、漠然としたカッコ悪さに似たようなものを覚えるのである。

 購入できるコンテンツに関しても、現段階ではまだ限られている。同社では、現行ニューヨーク・タイムズ・ベストセラー112冊のうち98冊を含む、12万以上のタイトルを取りそろえていることをうたっているが、例えばハリー・ポッターのシリーズはその中には一切含まれていないし、私が探していたジョン・グリシャムという作家(映画「評決のとき」の原作者で、ベストセラー作家)の本も見当たらなかった。もちろん、これは本体を購入する前の段階で分かっていたことで、私はむしろ、本体を購入した後に、ちょうど本屋の中を歩き回って偶然一冊の本を手に取るように、何か別な本を買いたくなる衝動にかられるのではないか、と期待した。しかし、その欲求は残念ながらわいてこなかった。

 せっかく使いやすそうな本体を手に入れても、欲しいコンテンツが手に入らなければ、それは宝の持ち腐れである。結局、私はアマゾンに商品の返品手続きを取った。


電子ブックのブレークスルー条件

 私は電子書籍や、ブックリーダーのコンセプトそのものを否定するつもりはない。単行本一冊の重さの中に、200冊分の情報が入り、新聞や雑誌の情報も最新のものが持ち歩ける。使い勝手も決して悪くない。ただ、デジタル音楽の歴史が、iPod以前とiPod以後に分かれてしまっているように、デジタル書籍の世界にも何らかのブレークスルーが必要であり、今回の初代Kindleの登場をもってしても、それはまだ到来していないという気がするのである。

 ブレークスルーたりえる条件は、まずデジタル音楽の時と同じように、今回、私に返品を決意させてしまった製品デザインとコンテンツが挙げられる。それにあえてもう一つの要素を加えると、PDAやメールといった付加機能の充実ではないか、と思う。これらの機能は、もちろん携帯電話や音楽プレーヤーに付加することも出来るのだが、画面の大きさ=見やすさ、ということを考えるとブックリーダーがそういった拡張性を持つことに否定の余地はないだろう。


注目されるアップルの動向

そんなことを考えると、ここで必然的にアップルの名前が思い浮かぶ。

アップルのスティーブ・ジョブスCEOは以前、ニューヨーク・タイムズとのインタビューの中で、読書人口が減少していることを主な理由として電子書籍業界参入の可能性を一蹴している。だが、アップルの噂サイトを中心に、ネット上ではむしろ近い将来の同社の参入を予測する声が強まっている。私個人としても、先ほど指摘したキーパッドの問題などアップルの「タッチ技術」を使えば解決可能だと感じるし、PDAやメール機能の融合も同社の得意分野に思えるが、いかがなものだろうか。


本格普及へ、ユーザー心理をどう攻めるか

 パソコンや携帯の普及は、人々の情報収集の仕方を受動的なものから能動的なものに変化させた、と良く言われる。ただ、Kindleのような電子書籍の存在は、そういった考え方に「待った」をかけそうな予感がする。自分の手の中に心地よく納まる端末の中に、ほとんど操作することもなくデリバリーされる情報や書籍。目に優しい、紙に近いディスプレー。コンテンツさえ充実すれば、Kindleのような商品を使うことは、パソコンのキーをたたいてサイトにアクセスし、画面に目を凝らすよりもはるかに人間的だと言えるし、楽なのである。

 そのあたりのユーザー心理をデザインとコンテンツの両方からどのように攻めていくか。そこに、電子書籍が本格普及するための鍵があるような気がしてならない。


<筆者紹介>江川 央(えがわ なかば)
デジタルメディア・コンサルタント
1965年米国ニューヨーク生まれ。1987年、自由学園男子最高学部卒業後、キヤノンに入社。海外マスコミ対応、多国語版社内報制作、F1鈴鹿グランプリにおけるスポンサー・チーム渉外、新規技術広報等を担当した後、1995年よりニューヨーク駐在。同年3月より、キヤノン初のウエブサイト設立を担当、設立後に同ウエブサイトの企画・制作業務を統括。1998年より、インタラクティブ・コミュニケーションズ・マネージャーとして、同ウエブサイト運営に加え、オンライン広告を中心にインターネット・ビジネスの展開に幅広く関与。2001年3月に、キヤノンを退社、デジタルメディア・コンサルタントとして独立。現在はマンハッタンにある大手法律事務所、Debevoise & Plimptonのナレッジ・マネージメント・チームをはじめ、依頼に応じて企業ウエブサイトの開発や、オンライン・マーケティング等に関するコンサルテーションを実施する一方、インターネット関連コラムへの寄稿をはじめ、ビジネス、社会、日米文化等にもテーマを広げた情報発信、創作活動を展開中。

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