【ネット時評 : 古矢眞義(古矢リサーチグループ)】
ワーク・ライフ・バランスの向上はそう簡単ではない

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 2007年12月に政府は、経済界、労働界、地方の代表者などで構成される「ワーク・ライフ・バランス推進官民トップ会議」を開催し、「仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)憲章」及び「仕事と生活の調和推進のための行動指針」を策定した。行動指針には数値目標も掲げられており、実現性はともかくとして、政府のワーク・ライフ・バランス向上にかける意気込みがうかがえる。
 

 この憲章や行動指針を策定した背景には次のような点が挙げられている。まず、企業間競争の激化や経済低迷、産業構造の変化によって、正社員以外の労働者が大幅に増加する一方、正社員の労働時間も高止まり状態にあるといったことから働き方が二極化していること。そして共働き世帯が増加したにもかかわらず働き方は昔通りであり、家庭や地域での男女間の役割分担意識もいまだ固定的なままであることなどだ。


ワーク・ライフ・バランスという考え方の起源

 もともとワーク・ライフ・バランスという考え方は、1980年代後半にアメリカの民間企業で自然発生的に起こった「ワーク・ファミリー・バランス」という企業内の制度が始まりと言われる。当時のアメリカは、子供を持つ女性の職場への進出が増加した時期である。夫婦共働きでないと生活水準を維持できない、あるいはリストラで夫が失業中であるなどさまざまな理由から、子供を持つ女性が仕事に就く割合が急速に高まった。企業は、優秀な人材を確保するために、高度なスキルを有していることを第一条件として人材を採用したが、その中に多数の子供を持つ女性が含まれており、こうした社員に対する施策として、「ワーク・ファミリー・バランス」と呼ばれる制度を導入する企業が増加した。ワーク・ファミリー・バランスの施策の中心は保育サポートであり、福利厚生的な発想に基づいたものであった。

 その後1990年代に入り、男性社員をも対象とした幅広い施策が導入されるようになったが、必ずしも当初から有効に機能したわけではなかった。1993年から3年間かけて実施されたフォード財団のワークライフ・バランスに関する研究が、この施策を単なる福利厚生的なものから、企業戦略のレベルにまで引き上げたとされる。この研究は、仕事そのもののやり方を見直す(=働き方を見直す)ことからスタートし、そのことによって生産性が向上し、同時に社員の私生活にもゆとりができるというロジックで研究が行われた点がユニークであった。

 この研究は、働き方を根本から見直し、場合によっては企業文化、あるいは組織文化までをも変革することが、企業の発展と社員の生活の質を高めることにつながるということ示したことで、アメリカの産業界に大きな影響を与えたといわれる。ヒューレット・パッカードやインテルといったアメリカを代表する企業が働き方を見直し、ワーク・ライフ・バランスの向上を企業戦略の中に組み込んだことにより、ワーク・ライフ・バランスという考え方はアメリカ企業のビジネス戦略としての位置付けを得たのである。アメリカのワーク・ライフ・バランス導入の経緯については、パク・ジョアン・スックチャ氏の『会社人間が会社をつぶす』(朝日新聞社、2002年)が詳しい。

 従ってワーク・ライフ・バランスは、社員の働き方を見直し、企業がフレキシブルな働き方のメニューを準備し、かつ、社員の私生活へのアドバイザー機能を提供することによって、個々の社員の能力を最大限に発揮する環境を作り上げることによって、優秀な人材の確保が実現し、結果的に業績の向上に結びつくという考え方であるといえる。


働き方の変革はそう簡単ではない?

 日本でワーク・ライフ・バランス憲章や行動指針が作られるようになったことは、もちろん決して悪いことではない。しかし、行動指針に書かれている過労働時間60時間以上の雇用者の割合を現状の10.8%から半減させる、年次有給休暇取得率を現状の46.6%を完全取得に持っていく、あるいは育児休業取得率を女性で72.3%から80%に、男性で0.5%から10%に引き上げる(いずれも目標年次は2017年)といった目標値を実現するために最も重要なことは、働き方そのものを根本から変えることである。つまり、アメリカでワーク・ライフ・バランスという考え方を「企業の戦略」に組み込んだことを考える必要があろう。政府目標を掲げて社会を変えていくという日本的な方法が無意味であるとはいえないが、実際に行動指針に盛り込まれた目標を実現するのは企業であり、「政府が掲げた目標に近づけるために……」という発想ではワーク・ライフ・バランスの向上が実現するとは思えない。

 ワーク・ライフ・バランスを向上させるためのひとつの方法として、企業が多様な働き方のメニューを提供することが挙げられる。在宅勤務などのテレワークもその中に位置付けられる。しかし、経営者やミドルマネジャーの中には、「テレワーク=楽な働き方」と思いこんでいる人がいることも事実である。この意識に裏には、「仕事ができるということは苦労を重ねて経験を積むこと」であり、「苦労を重ねて経験を積む=オフィスで誰よりも長時間仕事をすること」が当然という考え方がしぶとく生き残っているのではないかと思う。こうした考え方が組織内にはびこっている限り、働き方の変革は不可能であろうし、ましてやワーク・ライフ・バランスの向上は望むべくもないといえる。

 アメリカ企業がワーク・ライフ・バランス施策を導入したのは、優秀な人材の確保・定着といったきわめて単純明解な理由による。そのためには、企業文化を変えてまで働き方を変革するという点は、ドライすぎるともいえるし、うらやましいような面もある。幸か不幸か、日本においても労働力人口の減少が進むにつれ人材の確保の問題は重要性を増すことは間違いない。その時になって「我が社も働き方を変えてみようか」といっても遅いかもしれないのである。

 そうならないために重要なのは、経営者からミドルマネジャー、社員までそれぞれのレベルで「働く」ことの意味をもういちど考え直すことではないだろうか。社員としては、少なくとも「長時間働いた部下が一番!!」といった考えを持つ上司と闘い、自分自身がそうした考えに染まることがないよう努力すべきなのだろう。この点については、古川裕倫氏が著書『「バカ上司」その傾向と対策』(集英社文庫)で展開している考察が参考になる。


<筆者紹介>古矢 眞義(ふるや まさよし)
古矢リサーチグループ代表取締役

1946年生まれ。一橋大学商学部卒。財団法人日本総合研究所を経て、古矢リサーチグループ代表取締役。テレワークなどを含め、新しい働き方やITの効果的活用など、これからの時代のワークスタイルを調査研究している。自らも「どこでもオフィス」的働き方を実践。著書としては「知識創造のワークスタイル-来るべきユビキタス社会における新しい働き方の提案」(共著、次世代オフィスシナリオ委員会編)など。

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