【ネット時評 : 谷脇康彦(総務省)】
動き出した新政権の情報通信政策・クラウド活用も重要課題に

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 昨年末の12月30日、政府は2020年を見据えた「新成長戦略」の基本方針を閣議決定した。この基本方針では、情報通信技術(ICT)を「新たなイノベーションを生む基盤」と位置づけ、「情報通信技術の利活用による国民生活向上・国際競争力強化」の実現を目指すとしている。ICTは、新政権の成長戦略の中核に位置付けられようとしている。新政権下で具体化に向けて動き出した情報通信政策の方向性を整理してみたい。(本稿中意見にわたる部分は筆者の個人的見解です)
 

基本方針を示す原口ビジョン

 政府の「新成長戦略」の基本方針が決定される1週間前の22日、原口総務大臣は「ICT維新ビジョン」と題する情報通信分野における「原口ビジョン」を発表した。このビジョンは、新政権下において初めて情報通信政策の大きな方向性を示したものと言える。

 そこでは、2020年頃を視野に入れた情報通信政策の達成目標として、「地域の絆(きずな)の再生」、「暮らしを守る雇用の創出」、「世界をリードする環境負荷軽減」の3つの柱を掲げている。

 そして、ICTの持つ力を最大限活用した地域再生を図りつつ、ICTを核とする新産業の育成や雇用の創出、ICTグリーンプロジェクトの推進による環境負荷の軽減や国際貢献を実現するという情報通信政策の基本方針が明確に示されている。以下、具体的な内容を見てみたい。


ネットワーク整備からICT の徹底利活用へ

 第一に、原口ビジョンでは、ネットワーク整備からICTの利活用に政策の軸を移し、ICTを通じて人と人の「つながり力」を高め、地域の絆の再生を通じた地域活性化を実現することを目指している。政府は90年代後半からブロードバンド基盤の整備を進めてきた。その結果、2010年度末を待たずに全国の「ブロードバンドゼロ地域」を解消する目途が立ちつつある。

 しかし、ICTの利活用は依然として進んでいない。ブロードバンド基盤という情報ハイウェーは整備できたが、その上を走る車の数が少ない状況と言える。

 原口ビジョンは、こうした状況を改善するため、ICTの徹底的な利活用を進め、その結果として、2020年の時点ですべての世帯でブロードバンドサービスを利用している環境を実現するとしている。

 今から10年前、01年1月に策定された最初のICT国家戦略である「e-Japan戦略」では、「少なくとも3千万世帯が高速インターネット網に常時接続可能な環境の整備」を目指した。当時、その目標は達成困難とも思われたが、現在、ブロードバンド契約者数は3,093万加入(09年6月)に達している。

 そこで、次なる目標として、国民のコミュニケーションの権利を保障する観点から、すべての国民(4,900万世帯)がブロードバンドを利用している状況を実現し、ICTの真価を全ての国民が実感できるようにする必要がある。

 ICTの徹底的な利活用を進めるためには、ブロードバンドを介して提供されるサービスが、国民生活に不可欠で、使い勝手が良く、かつ利便性の高いものでなければならない。ところが、行政、医療、教育など、誰もが必要な公共サービス分野を中心に、ICTの利活用が立ち遅れている。例えば、行政サービスにおける電子申請は使い勝手が悪く、利用は低調だ。医療分野のレセプト(診療報酬明細書)のオンライン化も30%に達していない。学校におけるLANの整備も6割強にとどまり、インターネットを活用した授業が行える環境が整っていない。

 このため、平成22年度予算案では、ネットワーク基盤整備のためのICT交付金約100億円(平成21年度予算ベース)について、ほぼ同額をICTの利活用を促す事業予算に振り替えているのが、一つの大きな特徴となっている。

 今年度二次補正予算や来年度予算案におけるICT利活用事業では、新機軸も盛り込まれている。ICT利活用事業の実施主体として、従来の地方自治体にとどまることなく、「新しい公共」の担い手として期待されるNPO法人なども対象として支援することとしている。

 その際、重要なのは「地域で自立するプロジェクト」を組成し、そのベストプラクティスの広域展開を促していくことにある。いわば、従来の「点」展開から、「面」展開へ比重を移していくことが重要だ。

 そのためには、単にハード機器を整備すれば足りるものではない。地域プロジェクトの自立を促すため、今回の施策では、ソフト面、特に人材育成に力点を置いている。原口ビジョンにおいても、地域プロジェクトを牽引する「ICTふるさとリーダー」を全国1万人育成するという施策が盛り込まれている。

 次世代を担う人材を育成する教育の分野も、ICTの徹底的な利活用を進めることが重要なテーマだ。

 教育でのICT活用は、単にスペックの高い電子機器を導入すれば良いというものではない。使い勝手の良いタブレットPCを使ったデジタル教科書や、インタラクティブホワイトボードなどを使い、生徒同士が学び合い教えあう「協働教育」を実現するようなノウハウの蓄積と共有化が必要だ。教員のICTリテラシーの向上も不可欠と言える。

 このため、総務省は文部科学省と連携し、来年度から「協働教育」の実現に向けた「フューチャースクール事業」を推進することとしている。


ICTによる新たな経済成長の実現

 原口ビジョンの第二の柱は、現下の不況から我が国経済が脱却し、新たな成長軌道へとつなげていくため、ICTを経済再生の切り札として活用することにある。

 我が国のGDPは、米国に次いで世界第2位(06年)だが、2050年にはBRICs諸国に抜かれ、世界第8位に転落するという予測もある(ゴールドマン・サックス社調べ)。こうした危機意識の下、原口ビジョンは、ICT関連投資を2020年までに倍増させることにより、生産性の飛躍的な向上を実現し、同年以降、約3%の持続的経済成長を実現するとしている。

 現在、ICT産業は経済全体の約1割の市場規模を占め、我が国の経済成長の約3分の1に寄与している戦略的産業だ。欧米やアジア各国でも、ICT産業を戦略分野として位置付け、これを軸とした経済再生に取り組んでいる。

 昨年、日本経済研究センターが行った研究(主査:篠崎彰彦九州大学教授)によれば、ICT関連投資比率を3ポイント向上させることなどを盛り込んだ「投資加速シナリオ」を採用することにより、潜在GDP成長率は「基本予測」の0.5%から1.1%に上昇し、名目GDP成長率は0.8%から2.1%まで上昇するという(数値はいずれも2011~2020年度平均)。ICT関連投資を増加させることは、我が国経済の再生に不可欠の要素だ。

 しかし同時に、我が国の人口は2055年の時点で9千万人を割り込むと予想されている(国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口」、06年12月)。その結果、我が国の国内市場は縮退を余儀なくされる。そうした中、日本のICT関連投資の増加を通じた経済成長を実現していくためには、アジアの成長を取り込むなど、国際競争力の強化を同時に図っていく必要がある。

 このため、日本が強みを持つ新たな技術(J-ICT)を生み出すための人材育成、海外研究機関との連携、地方に眠っているベンチャー発掘を含むデジタルネイティブの知恵の活用、関係業界が連携したグローバルコンソーシアムの組成などを推進していく必要がある。

 また、地方の文化、物産、観光資源などをデジタルコンテンツ化し、コンテンツ配信、海外観光客の誘致、地方物産のブランド力強化、対日理解の促進などをアジア各国をはじめグローバルに展開していくことも求められる。


ICTグリーンプロジェクトの推進

 第三の柱としては、ICTグリーンプロジェクトの推進、つまりICTを活用した環境負荷の軽減の実現が掲げられている。

 鳩山政権は、2020年時点でCO2排出量を90年比25%削減することを目指している。今回の原口ビジョンでは、25%という政府全体の削減目標のうち、10%以上をICTパワーで実現するという目標を示している。

 米国では、昨年2月の「米国再生・再投資法」に基づき、スマートグリッド(次世代送電網)関連で総額110億ドルを連邦政府として拠出するなど、国を挙げてグリーン・ニューディールを推進すべく様々な取組みが進められている。

ICTが環境負荷の軽減にもたらす効果については、EUも注目している。欧州委員会は09年3月、ICTを利用することによってCO2排出量の15%以上の削減が期待できるとの声明を発表した。さらに、同年10月、ICTを使ったCO2排出量削減効果の計測評価方式を2011年までに定めるとともに、ICTを用いたエネルギー効率向上施策の具体化を急ぐことを内容とする勧告が採択された。

 また韓国でも昨年5月、大統領直属の「グリーン成長委員会」が「グリーンIT国家戦略」を発表し、テレワーク、遠隔医療、業務のペーパーレス化、建物内エネルギー管理システムの導入などを推進するとの方針を決定した。

 日本も手をこまねいている訳にはいかない。ICTを用いた環境負荷の軽減に向け、省エネ型データセンター構築の推進、トラフィック(情報流通量)に応じて最適経路を選択するエコインターネットの実現など、ICT産業そのもののグリーン化(green of ICT)を推進する必要がある。加えて、自然再生エネルギーの「地産地消」の推進、スマートグリッドや次世代ITSの普及など、ICTを活用したグリーン化(green by ICT)も推進していく必要がある。


クラウドサービスの普及促進も課題

 ICTの徹底的な利活用を進めていくためには、クラウドコンピューティング技術を活用したサービス(クラウドサービス)の普及促進も大きな課題だ。我が国の世界最先端を行くブロードバンド基盤は、クラウドサービスの導入にとって最適な環境である。

 前述のとおり、我が国はICTの利活用は低調だが、クラウドサービスを導入すれば、低コストかつ短期間でICT利活用の促進が可能となる。

 総務省では、09年7月から「スマートクラウド研究会」において我が国のクラウド戦略の在り方について検討を進めてきた。政権交代に伴い、本研究会は総務副大臣主催の研究会として再スタートを切っている。そして、本研究会は、電子行政クラウドの推進、地方自治体におけるクラウドサービスの普及推進を含め、オール総務省としてのクラウド戦略を策定する場として位置付けられ、具体的な検討が進められている。

 2月10日、このスマートクラウド研究会の中間取りまとめ案「スマートクラウド戦略」が公表されたが、そこではクラウド戦略の基本方針が示されている。すなわち、各企業が個別に保有しているコンピュータ資源をクラウドデータセンターに集約するという現世代のクラウドサービスの「次のステップ」として、企業、産業の枠を越え、膨大な情報・知識を収集・共有化し、これをリアルの世界のサービスの向上につなげる次世代のクラウドサービス「スマートクラウド」の実現を目指すことが提言されている。

 具体的には、行政、医療、教育、農林水産業など、ICTの利活用が立ち遅れている領域を中心にクラウドサービスの普及を図り、地域の活性化を実現するとしている。また、ICTを横串として、社会システム全体の情報流、交通流、金融流、エネルギー流を統合化するという観点でクラウドサービスを活用しつつ、スマートグリッド(メーター)、次世代ITS、IPv6ベースのセンサーネットワークの活用などについて「国家プロジェクト」として推進することが必要であるとしている。

 こうしたクラウドサービスを活用した社会インフラの高度化は、膨大なリアルタイムのストリームデータを収集・分析し、社会インフラの運用を効率化・高度化するものである。このため、こうした膨大なストリームデータを活用するための技術開発の他、クラウドサービスの安全性・信頼性の向上、環境負荷の軽減等を中心に、今後、重点的に技術開発を推進する必要があるとしている。

 この中間取りまとめ案については、現在、意見募集をしている(締め切りは3月9日)。


ICTタスクフォースの設置

 昨年10月末、原口大臣のイニシアティブにより「グローバル時代におけるICT政策に関するタスクフォース」が設置され、「過去の競争政策のレビュー」、「電気通信市場の環境変化への対応」、「ICT産業全般の国際競争力強化」、「地球的課題等の解決への貢献」の4つのテーマを検討アジェンダとして設定し、各テーマごとに部会が設置され、精力的な議論が進められている。

 そして、これら4つの部会の上位に位置する「政策決定プラットフォーム」は、各部会の座長・座長代理と政務三役が参加して開催され、各部会間の連携を図る場として活用することになっている。

 この政策決定プラットフォームの第1回会合が、去る1月19日に開催された。その中で、国際競争力強化の観点からは、ICTグリーンプロジェクトの推進、ICTによる鉄道、交通などの社会インフラ高度化プロジェクトのアジア展開を含む、合計7つの主要検討項目を整理した。

 また、地球的規模の課題解決の観点からは、誰にとっても使い勝手のよい「ユニバーサルICT利活用モデル」の構築等に力点を置きながら、検討を深めることとしている。各部会において、原口ビジョンを基に今後さらに政策の肉付けが進んでいくだろう。

 政府全体としても、ICT新戦略の策定に向けた動きが始まっている。2月3日には、政権交代以降初めてIT戦略本部有識者会合が開催され、ICT新戦略の検討に向けた検討が本格化している。今後、春に向けてICT分野の国家戦略作りが進められていく。

 冒頭述べた「新成長戦略」についても、基本方針を踏まえ、現在「工程表」の策定が進められている。具体的には、今後、「2010年度中に実施する施策」、「今後4年以内(集中アクションプラン期間)に実施する施策」、さらに「2020年までに実施する施策」の3つのフェーズに分けて、新成長戦略の具体的なロードマップを描くこととなっている。

 原口ビジョンを核としつつ、前掲のタスクフォースにおける議論やICT新戦略の策定などを通じ、政府全体としての「新成長戦略」の全体像が本年6月までに具体化されていくことになるだろう。


政治主導によるICT利活用の推進

 地方で生み出された再生可能エネルギーをその地域で使う「地産地消型エネルギー社会」を実現することは、地域自らが自立し、地域主権を確立することにつながる。原口大臣はこうした取り組みを「緑の分権改革」と呼び、これを強力に推進していくとしている。

 地方において再生可能エネルギーの利用を推進していくためには、電力の相互融通などを可能にするスマートグリッドの実現、スマートメーターの普及、バイオマス(生物資源)や太陽光エネルギーの活用、電気自動車(EV)の導入との連携などが考えられ、関係する府省の数も多い。

 クラウドサービスの普及も同様だ。様々な分野でICTの利活用を進めていこうとすると、関係する府省の数も多く、制度的課題や一種の「抵抗」が生まれ、「ICTの潜在力を最大限活かす」という目指すべき方向に進めない可能性がある。新成長戦略にも盛り込まれたように、ICTの「利活用を促進するための規制・制度の見直しを行う」ことも重要な政策課題だ。

 民主党政権は政治主導を標榜し、政務三役が中心とした政策決定プロセスにより積極的な施策展開を図ろうとしている。政治主導によって関係府省の「壁」を打ち破り、新しい思い切った「国民本位」の施策展開が図られることが期待される。

 1月29日、鳩山総理は施政方針演説の中で「地域主権の確立」を「鳩山内閣の改革の一丁目一番地」と位置付け、「情報通信技術の徹底的な利活用による『コンクリートの道』から『光の道』への発想転換を図り、新しい時代にふさわしい絆の再生や成長の基盤づくりに取り組む」と述べた。新政権の情報通信政策は急ピッチで動き始めている。


<筆者紹介>谷脇 康彦(たにわき やすひこ)
(総務省情報通信国際戦略局情報通信政策課長)
1984年郵政省(現総務省)に入る。OECD事務局ICCP(情報・コンピュータ・通信政策)課勤務等の後、郵政省電気通信事業部事業政策課補佐、郵政大臣秘書官、電気通信事業部調査官、在米日本大使館参事官、総合通信基盤局料金サービス課長、総合通信基盤局事業政策課長等を歴任。2008年7月より現職。主として通信放送分野の競争政策に携わってきている。
著書に「世界一不思議な日本のケータイ」(インプレスR&D、08年5月刊)、「インターネットは誰のものか――崩れ始めたネット世界の秩序」(日経BP社、07年7月刊)、「融合するネットワーク――インターネット大国アメリカは蘇るか」(かんき出版、05年9月刊)。

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