【ネット時評 : 城所岩生(国際大学GLOCOM)】
新たな段階へ進むブック検索和解――日本版フェアユース論議への示唆
昨年、日本の出版界に黒船騒ぎをもたらした「グーグル・ブック検索」和解問題。08年10月に出された当初和解案に対して、09年9月までに全世界から400以上の異議申し立てや意見が裁判所に提出された。それらを反映して、11月に修正和解案が出され、対象著作物が、米国著作権局に登録された著作物および英国、カナダ、オーストラリアで出版された著作物に限定されたことにより、わが国の著作権者は対象外となった。これによって「黒船」は去った、一難去ってやれやれだという受け止め方もなくはないようだが、再び「鎖国」に戻るようでは、日本の将来は危うい。
2月4日に提出された修正和解案に対する米国政府の見解(Statement of Interest)は、以前の本コラム「グーグル和解問題に見る米国のしたたかな国家戦略」でも紹介した米国政府のしたたかさを再認識させるものだった。修正和解案には依然として問題があるとしつつも、問題点さえ解決すれば、和解案がもたらす社会的便益は大きいとして、具体的解決策を提案し、合衆国が引き続き和解成立のために両当事者との協議を続行することを確約している。1週間後の2月11日、グーグルは政府見解が誤っていると反論した。そのしたたかさも米政府に劣らない。そこで、今回は官民あげてしたたかな米国に翻弄(ほんろう)されないために日本は何をすべきか考えてみたい。
修正和解案に対する米国政府見解
4日の政府見解は最初に「修正和解案が権利者不明のいわゆる『孤児作品』問題について多くを解決する点については、政府は両当事者の努力を評価する。しかし、その価値ある目標にもかかわらず、合衆国は遺憾ながら、(孤児作品問題を解決するために)集団訴訟制度を修正和解案のように使用するのは行き過ぎである(a bridge too far)という結論に到達した。」と指摘。ついで、「以下の条件を付加することによって、承認できるような和解にすることは可能である。」として7項目の具体的な条件を提示した。最後に、「両当事者による賞讃に価する当初和解案改善の努力にもかかわらず、当初和解案に見られた問題点の多くは修正和解案にも残ったままである。合衆国は引き続き和解の範囲及び内容について両当事者との協議を続行することを約束する。」と結論づけた。
未解決の問題が山積していると政府も指摘するだけあって、修正和解案に対しては、「化粧直しにすぎない」との酷評もある。2月18日の公聴会に裁判所は26名の証人を召喚したが、反対意見を述べる者が21名に対して賛成意見は5名と修正和解案に対しても依然として反対が多い。にもかかわらず、米政府が引き続き、和解成立に導こうと懸命なのは、以前の上記コラムでも指摘した90年代のIT革命の「夢よ再び」で、グーグルに米国経済復活の救世主になってほしいからである。
1月末に発表されたオバマ大統領の一般教書は、雇用が2010年の一番の焦点であると指摘、5年間で米国の輸出を倍増させ、200万人の雇用を創出すると公約した。インターネットやオンラインサービスを含む通商関連サービスの輸出は、02年から05年にかけて全産業の中でも最も高い年率65%の成長率を達成した。リーマンショックからいち早く立ち直ったのもこの業界で、最新の09年10-12月期決算はグーグル、アマゾンとも大幅増収増益である。しかもグーグルは売上の53%、アマゾンも48%を海外から上げている。5年間で輸出を倍増させるための双発エンジンなのである。
権利者を探す努力をすれば一定の条件のもとで孤児作品を利用しやすくするパブリック・ドメイン促進法案は、前議会までの3期6年にわたって提案されたが、毎回廃案となった。その間隙(かんげき)をついた和解案に対しては、司法(訴訟の和解)ではなく、立法で解決すべき問題であるとの批判も根強い。にもかかわらず09-10年の今議会で、上下両院ともまだ提案すらされてない。会期も後半に入った現時点でも提案されていないということは今議会での成立は望めそうもない。
下院の司法委員会は09年9月10日に「デジタル書籍の流通と競争:グーグル和解案」についての公聴会を開催した。公聴会でゾー・ロフグレン議員(民主党)は、「議会はこの問題をもっと早く解決すべきだった。しかし、民間企業が何らかの解決策を見出しても驚くことはない」と述べた。和解が孤児作品問題を解決してくれるならそれでも構わないというわけである。裏にはグーグルが画期的なブック検索サービスを世界に広めて、外貨を稼いでほしいというしたたかな国家戦略が議会にもあることはいうまでもない。
グーグルの反論
したたかさでは、グーグルも負けてはいない。米政府の贈ったエールに応えるどころか反論した。検閲問題やハッカー攻撃問題で中国政府と渡り合うほどのグーグルにしてみれば、驚くことではないのかもしれない。「著作権法の目的は表現物の創造と流通を促進することにある。修正和解案はこの目的を前進させるものである。」「行き過ぎではない。」「歴史上最大の図書館の門を開くものである。」「修正和解案の却下はその門を閉ざしてしまう。」などと反論、修正和解案の承認を裁判所に求めた。反論は法律論でなく政策論で、法律問題を裁く裁判所に政策判断を求めるのはお門違いではないかという印象も払拭できないが、2月18日の公正公聴会後に裁判所は、修正和解案を①承認する ②却下する ③再修正を命ずる のいずれかの選択をすることになる。政府の見解を尊重すれば③だが、グーグルの反論により②の可能性も高まった。その場合、訴訟に戻ることになるが、グーグルはその覚悟で反論したからには訴訟を継続しても勝算ありと踏んでいるわけである。
わが国への示唆
昨年10月の本コラムで、筆者は「国家戦略の視点でフェアユース導入議論を」と主張した。そのフェアユースが現在、文化審議会著作権分科会法制問題小委員会で議論されている。
グーグルとともに「輸出倍増計画」の機関車の役割が期待されるアマゾンの好業績は、電子書籍端末「キンドル」の売行き好調が寄与している。電子書籍もかつて松下電器産業(現パナソニック)とソニーが日本国内で発売したが、売れ行き不振のため早々と撤退してしまった。専用端末の価格は、04年に発売した松下の「シグマブック」、ソニーの「リブリエ」とも、「キンドル」とあまり変わらなかったが、端末で読める書籍の数が桁違いだった。両社とも再販制度という著作権法以外の法制度の壁も加わって、コンテンツが伴わず、ユーザーにそっぽを向かれてしまったのだろう。キンドルの成功に勢いを得て、今年は「電子書籍元年」といわれるほど新規参入が相次いでいる。ブック検索サービスで書籍をデジタル化ずみのグーグル、iPad を売り出したアップルなども参入、こうしたグローバルプレーヤーが日本に進出してくるのは時間の問題と思われる。
昨年末の本欄「グーグル問題が浮き彫りにした「電子図書館後進国」日本」で指摘したように、検索サービスや音楽ネット配信サービスに続いて、電子書籍も技術や構想は先行しながら、法制度の壁に阻まれてビジネスは米国勢に持っていかれる、いつか来た道を歩むわけである。この悪循環を断つにはグーグル和解問題に見る官民あげての米国のしたたかさに学ぶ以外ない。
日本航空やゼネラル・モーターズに見られるように、改革を怠ったため経営破綻に陥る大企業は日米とも存在するが、それら恐竜企業に代わって経済を牽引するグーグルやアマゾンのような若きスーパースターが育たないのが日本の問題なのである。そうしたスーパースターは既存の業界(電子書籍で言えば出版業界)の外から参入してくる。経済発展のためには創造的破壊が不可欠であるが、既存の業界秩序を破壊するのは業界内からは難しい。その上、権利者寄りの著作権法に加えて、出版業界の場合は再販制度などの法制度の壁、天下りなどを通じた業界寄りの官庁の行政指導、業界の慣行などに守られて参入障壁の高い日本では、業界の外からの新規参入者による創造的破壊も難しいときている。
確かに著作権法の目的は文化の振興にあり、産業育成ではない。しかし、文化振興の観点からも日本の書籍をデジタル化して世界に発信しないと、日本の文化が世界から取り残されてしまう恐れがある。これに脅威を抱いた欧州は、グーグルがブック検索構想を発表した1カ月後の05年1月にフランスのジャンヌネー国立図書館長が問題点を指摘、これに応えてシラク大統領が5カ国の首脳に呼びかけ、欧州委員会がデジタル・ライブラリー計画を策定、08年に欧州デジタル図書館(Europeana)を一般公開した。
もともと、世界はパワーゲームだ。グローバル化はその傾向をますます強める。国も企業も守りに入らずに攻め込めるような法整備が必要である。2月18日に開催された法制問題小委員会で、日本版フェアユースは導入を前提に3月をめどに中間とりまとめを作成することが決まった。具体的な制度設計については今年秋をめどに議論していくことになったが、制度設計にあたっては、書籍デジタル化への対応、グーグルやアマゾンのように誕生後10年強で国の経済を牽引するまでに成長するベンチャー企業の育成など、国家戦略の視点に立った議論をすべきである。
<筆者紹介>城所 岩生(きどころ いわお) |
2010-2-22 カテゴリー : ネット時評 , 城所岩生(国際大学GLOCOM)
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