【「一太郎」知財訴訟判決 : 緊急コメント】
「一太郎」知財訴訟判決へのデジタルコアメンバーコメント

 松下電器産業がジャストシステムのワープロソフト「一太郎」などで特許権を侵害されたとして製造・販売の差し止めなどを求めた訴訟の控訴審で、知的財産高裁は差し止めを命じた一審判決を取り消し、松下側の請求を棄却した。
 このことについて、日経デジタルコアのネット会議に、メンバーからそれぞれの視点でコメントが寄せられた。その内容を紹介する。

<富士通 経営執行役 法務・知的財産権本部長 加藤 幹之氏(1)>

まず印象だけだが、特許が無効と言う判断は珍しいことではないので、過剰なリアクションをすべきではない。公知例があり「進歩性」が否定されたということなのではと想像するが、公知例と判断されるかどうかは特許訴訟の通常の論点だ。この判決が、特許訴訟やソフトウエア特許制度についての、法律の考え方を変えるというようなものではないと思う。

こうした判決を重ねることによって、ソフトウエア特許の保護範囲の基準がより明確になって行くことを期待したい。

<新潟大学法学部 助手 須川 賢洋氏>

(加藤氏の発言を受けて)
ざっと判決文に目を通した限り、加藤氏の指摘どおり、当該技術は周知の技術から容易に想像できるもの、としているようだ。

一審の際に、松下側が通常の特許侵害のプロセスに沿って訴えを起こし、それが認められ、二審ではジャスト側が特許を無効にするための一般的な手法として、その新規性の無効を主張し、これが認められた――というシンプルな流れだと思う。

加藤氏の、こうした判決を重ね特許の保護範囲が明確になることを期待する、という意見には同感だ。
また、裁判の結果そのものよりも、知財高裁が初の大合議制をとったこと、8カ月間のスピード審議をしたことを評価したい。

<成蹊大学 法学部教授 城所 岩生氏>

(須川氏の発言を受けて)
同感だ。在米時代、日本企業同士が米国で特許訴訟を争うという話をきいたことがある。5倍から10倍の訴訟費用がかかっても、「時は金なり」のビジネスの世界でいつ出るかわからない日本の判決を待ってられない、というのが理由だったようだ。

少なくともそういう現象はなくなりそうだ。米国に20年以上遅れたが、知財高裁を作った効果はあったのではないか。

知財とは直接関係しないが、9月半ばに最高裁は在外邦人の選挙権制限は違憲との判決を下した。また9月末には大阪高裁が小泉首相の靖国神社参拝について違憲判決を出している。めったに違憲判決を書かなかったわが国の上級審が次々と違憲判決を出したことになる。

今回のスピード判決とあいまって、日本の司法もようやく機能し始めたという印象を持った。

<富士通 経営執行役 法務・知的財産権本部長 加藤 幹之氏(2)>

(須川氏の発言を受けて)
特許の紛争において、公知例を探し相手側の特許の無効を主張する、という手法はオーソドックスだが極めて有効な反撃になる。もし特許が無効になってしまうと、その後は第三者にも使えなくなるからだ。そのリスクから、戦略を変える必要に迫られることも多い。

特許の侵害を判断するのは裁判所だが、裁判所が同時に特許の有効性も争える、という判断をしたのは2000年の最高裁判決だ。富士通がテキサス・インスツルメンツ(TI)との間で、ICの特許を巡り10年争った訴訟の上告審判決である。それまでは、特許の有効性の判断は別に特許庁の審判を求める必要があった。

その頃に比べると、日本の裁判所の審理や手続きは大きく改善されたと思う。昔は国際的な紛争が生じた時、日本は裁判が遅いから米国でまず提訴、と言う話もよく聞いたが、今や日本の裁判も「早くて正確」と言う印象に変わりつつある。

ソフトウエア特許の権利範囲は、ハードウエア特許に比べ、まだまだ不明確といえる。そこには公知例のデータベースが作りにくく、整備されていないという事情がある。米国では、これを長年に渡って整備しようと努力している人々もいるが、網羅的なものはなかなか難しい。

今回の判決の結果そのものについては、当事者で無く、全ての事実が分からないので、コメントは避けたい。

ソフトウエアに関する日本の訴訟で最初に話題となったのは、91年に起きた「イエス訴訟」だと思う。もっともこの件は、結審する前に原告が提訴を取り下げたので判決は出なかった。

訴訟は費用も労力もかかり決して好ましいものではない。できるだけ交渉を行い、和解に持ち込む努力をする。それでもどうしても必要なら徹底して争う、という考え方で臨むものだ。

その積み重ねが裁判制度やソフトウエア特許制度をより強く安定したものにして行くのではないか。

<大阪市立大学大学院 創造都市研究科 教授 中野 潔氏>

判決の内容の妥当性について、詳細に踏み込んでコメントすることは控えたい。

まず、知財高裁が設立されてから、5人の裁判官で審理する「大合議」という仕組みを用いて判決が出されたことを、新体制の「設け甲斐」があったという観点で素直に喜びたい。

次に、今回の判決についてということではなく、一般市民の多くが、訴訟が公になった時点での「発明の新しさ」の感覚で論じてしまうという点について、自戒も含めて警鐘を鳴らしたい。やはり、多くの場合、話題になった時点の数年前であるところの特許の出願時点の感覚で論じなければならない。

また、特許の権利者が、当然の権利として、権利を主張し、場合によって他者のビジネスに対する差し止め請求などをすることを、資本の横暴その他の感情的な言葉で非難することは、避けるべきだと思う。

特許を考案し、出願し、登録にいたった特許権を更新していくのには、多くのコストが掛かる。その権利が侵害されたとき、権利を主張するのは当然である。しなければ、権利者が勤勉なやり方で利益を追求しなかったことになり、株主など利害関係者に対して顔向けできなくなる。

「大手企業が中堅企業にそこまで言わなくても」とか、「儲かっている会社がそこまでしなくても」というのは、ビジネスの戦略について論じるとき、制度の良否について論じるときには、偏った見方だといわざるをえない。

「資本の横暴で消費者の利便性を減じている」といった批判をする際にも注意すべきだと思う。特許が正当なものであり、被告が実際に権利を侵害しているとすれば、被告はライセンス料を払って許諾を得るか、別の実現手段を探すかするべきである。ライセンス料が高すぎると感じたとしても、それを所与の条件としてそれでも儲かるビジネスを組み立てるか、別の実現手段を探すか、クロスライセンスを迫る武器となるほど強い対抗の発明をするか、いずれかを実現すればいいのである。

現在、「海賊版を許さないと言い張るコンテンツホルダーが、市場のコンテンツ価格を、海賊版の5倍にも引き上げている」といった批判が、多くの市民の賛同を得る状況ではなくなっている。発明についても同じことが言えるだろう。

<国立情報学研究所 ソフトウェア研究系 助教授 佐藤 一郎氏>

ソフトウエア研究を仕事としている立場から言えば、今回の裁判の一番の意義は「ソフトウェア特許の問題を世の中に知らせたこと」の一言につきると思う。

ソフトウエアは実体がないだけに、自由度が高く、アイデアとプログラミング能力があれば、大手企業ではなくても製品を作ったり、オープンソースソフトウエアとして配布できる。この結果、特許になっていない先行事例も多いのがソフトウエアの特徴だ。

しかし特許庁や弁理士、企業の知財担当者も、技術の新規性を評価するための調査は、他分野の調査と同様に既存特許の有無に重点がおかれているようだ。つまり、公知事例があるかどうかまでを詳しく調べているとは限らない。

自分はソフトウエアの研究をしている都合上、論文と特許の両方を調べることが多いが、ソフトウエア特許として成立した技術には、論文などにより周知となっている技術と極めて類似したものも散見される。実際、今回の判決も既存特許ではなく、同様の技術を使った先行製品の存在が発見されたことが判決の決め手になったようだ。

このため、新規性を評価するには既存ソフトウエア特許だけでなく、オープンソースソフトウエアを含む非営利ソフトウエア、商業ソフトウエア、学術論文まで含めて、広く調査する必要がある。ただし、これを特許出願・成立段階で調査することは不可能であり、今回のように特許侵害裁判などを通じて事後的に新規性を評価するしかないように感じている。

このため、こうした裁判による特許の有効・無効の判定は、今後必要性が増すと考えている。

一方、既存技術の発見だけならば、例えば企業の開発者や大学などの研究者が横断的にコミュニティーを作って、そのコミュニティに依頼があった技術に関して、既存技術を知っているかを問い合わせることで、既存技術の調査は代行できる可能性もある。こうしたコミュニティーや制度作りも検討すべきだろう。

ソフトウエアの特徴のひとつは、その技術進歩が速いことだ。このため、特許として認められた技術が陳腐化することも多い。実際、今回の裁判で焦点となった技術は、松下電器産業はすでに製品などに利用していないと聞いている。こうした利用されていない特許技術を死蔵するぐらいなら、安価に公開するなど、発想の転換も必要となるだろう。また、今回の裁判はグラフィカル・ユーザー・インタフェース(GUI)に関連するものだが、GUIはソフトウエアの中でも特殊性がある。というのも、GUIはユーザー経験が重視されるからだ。つまり、ユーザが既存方法に慣れていれば、その方法を提供するしかない場合もある。もちろん発明者の権利保護は最優先に考えられるべきだろうが、技術独占よりも安価な有償公開を促す制度作りが必要となるのではないか。

いずれにしてもこうしたソフトウエア特許の様々な問題を提起・議論する機会を作ったことが、今回の裁判の一番重要な意義だと考える。

近年、企業が中・長期的技術戦略から短期的技術戦略にシフトした結果、短期的にビジネスとして有望な分野に大量の特許申請が集中する傾向が強くなってきている。このため、お互いに他社の特許で制約を受けてビジネスが立ち上がらないというケースも少なくないようだ。例えば国内ではユビキタスコンピューティングがブームになった際、ユビキタス関連の多数の技術が特許として出願された。ブームの後に残ったのはユビキタスコンピューティングの発展ではなく、特許の山だけ、という、文字通り「ユビキタス特許」状態になってしまった。この「ユビキタス特許」化が技術発展を阻害することが深刻な問題になるのではと懸念している。個別の判決の分析よりも、将来的な特許問題の議論を期待したい。

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