【ネット時評 : 土屋大洋(慶應義塾大学大学院)】
コンテンツの虚と実――通信・放送融合議論に垣間見る「2つの世界観」

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日本のネット業界を今年最も騒がせたのは、通信・放送の融合問題と、それに付随するNHK改革、NTT改革、さらにはデジタル著作権の問題だったのではないだろうか。もっとも大騒ぎしたわりには、大きな制度変更は今のところ見られない。

放送は、定義上は通信の一形態に過ぎない。放送法の第二条によれば、放送とは「公衆によつて直接受信されることを目的とする無線通信の送信」である。しかし、通信と放送は、長らく別物として存在し、異なるビジネスモデルを築き上げてきた。デジタル技術の発達は、技術論的には、その融合を可能にしている。その「融合」が、政治・経済的、そして文化的にも難しいことが分かったのが2006年だった。

ネグロポンテ・ワールド

この問題をさらに突き詰めていくと2つの世界観に到達する。第一に、デジタル技術の恩恵を最大限活用して、自己コントロール能力を増大させるべきだという、MIT(マサチューセッツ工科大学)メディアラボの創設者、ニコラス・ネグロポンテ氏が描くような世界だ。ネグロポンテ氏は1995年に執筆した「ビーイング・デジタル」において、「デイリー・ミー(日刊自分新聞)」とも言えるような、自分の興味に基づいてカスタマイズされたデジタル情報の普及を予測した。

実際、新聞やテレビはデジタル技術の普及に強い警戒心を持つようになった。新聞のインターネット版が普及したり、テレビ番組のインターネット配信も始まったりしている。しかし、全面的に既存のマスメディアがインターネットに移行したわけではなく、どちらかというと気休め程度に新技術をとり入れているだけのように見える。

他方、「Web2.0」という言葉があっという間に普及したように、新しいインターネット・サービスも数多く始まった。ブログやSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)、RSSを使った情報配信が普及し、YouTubeも一躍有名になった。こうした新しいサービスでは自分の興味のある世界を深く探求できる。そして、個人が「情報を差別する」ことが奨励されている。これを「ネグロポンテ・ワールド」と呼ぼう。

サンスティーン・ワールド

第二の世界観は、シカゴ大学のキャス・サンスティーン教授が提起したものだ。彼は「インターネットは民主主義の敵か」(2001年)の中で、討議型民主主義の重要性を訴えている。民主制度は、広範な共通体験と、多様な話題や考え方への思いがけない接触を必要とする。その点からすると、インターネットは民主主義にとって害になる。なぜなら、共通体験が減るだけでなく、人々がそれぞれ自分の好みの議論が展開されている場所に棲みつく状況をつくり出すからである。

ネグロポンテが言うように、インターネットは選択肢の劇的な増加とカスタマイズ能力の向上をもたらしている。しかし、さまざまなグループがそれぞれ別個の視点をとり、まったく違うテーマに焦点を絞るようになれば相互理解は難しくなる。その結果、社会が直面する問題をみんなで解決することがますます困難になる。多様だが互いに無関係なサイバー空間のカスケード(小さな滝)が出現する可能性が高まるからだ。

個人の見たいもの、聞きたいものをかなえてくれさえすれば、その情報通信システムは素晴らしい、というのは単純すぎるとサンスティーンは批判する。言い換えるなら、「あらゆる情報は差別されてはいけない」のだ。これを「サンスティーン・ワールド」と呼ぼう。

二つの世界の融合?

ネグロポンテ・ワールドは、通信の世界と親和性が高い。電話の内容は徹底的にカスタマイズされたものだ。自分と相手の双方が興味を持つことしか話されない。それに対し、サンスティーン・ワールドは、放送や新聞と親和性が高い。興味を持っていないことについてもたくさん情報を提供してくれるからだ。

このように考えると、通信と放送の「融合」は、技術的に可能だとしても、実は難しいことである。慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所の菅谷実教授によると、そもそも英語の「コンバージェンス」が意味するのは集中とか収斂(しゅうれん)という意味であり、融合ではないという。したがって、正確なニュアンスは、通信分野と放送分野がその境界を越えて、互いの利点を共有したり、連携したりできるようになるというものだという。つまり、日本語の「融合」がイメージするニュアンスとは異なるわけだ。ましてやそれぞれの産業にこれまで数十年かけて築き上げてきたビジネスモデルがある。お金がそれぞれの業界で回り続ける限りは、それぞれのビジネスモデルに固執するのは当然だろう。

二つの世界を融合した新しい世界観は描けるだろうか。何か劇的なショックが起きない限り難しいのではないだろうか。ひところ話題になった「EPIC 2014」 というフラッシュアニメ(グーグルとアマゾンが「強者連合」を結成し、徹底的に個人のし好に合わせた情報提供とビジネスを展開する、というフィクション)は、一見するとネグロポンテ・ワールドの勝利を予見しているが、しかし、実はそれは二つの世界の決裂を示しているに過ぎない。そこに描かれた未来では、米ニューヨーク・タイムズ紙が、オンラインでの提供をやめてオフラインになる。それは紙の新聞が絶滅するといっているわけではない。融合論ではなく、共存論ないし棲み分け論のほうが建設的なのではないだろうか。利用者はどちらも必要としているのではないだろうか。

ギブスン・ワールド

それでは、2007年、何が問題になるのだろうか。やや無責任な予想をすれば、現実世界から一周遅れているが、「構造」と「偽装」が問題になるのではないかと思う。構造問題とはネットワークの中立性論議のような料金構造の見直しである。ネットワーク・インフラの投資を誰が負担するのかが不透明になってきている。これを改革しようという議論はすでに始まっている。

また偽装問題とは、著作権論議をあざ笑うかのような二次著作物がたくさん出てくることである。すでに、ニューヨーク・タイムズが掲載した写真や、ロイター通信が配信した写真が、意図的に修正されたものであるとして問題になる、という事件が起きた。以前からある問題としては、スパムやフィッシング、あるいは「2ちゃんねる」のような匿名掲示板に書かれた情報の一部も、「本物かどうか」を疑わせるコンテンツだ。これからは、偽装されたテキスト、画像、音声、動画などのコンテンツが広く出回るようになり、単なるデジタル・コピーの問題を超えた情報の信頼性問題を引き起こすのではないだろうか。

虚と実が混ざり合い、どれが本物か分からなくなる。米国の作家、ウィリアム・ギブスン氏が描いた「ニューロマンサー」(1984年)のような世界観を「ギブスン・ワールド」と呼ぼう。

もちろん、ギブスン・ワールドはビジネスにとっては悪い状況だ。インターネット全体の信頼性が落ちてしまえば、インターネットでお金を使う人が減ってしまうかもしれない。しかし、信頼されるサービスを提供できる人や企業にとっては新しいビジネス・チャンスにもなるだろう。

<筆者紹介>土屋 大洋(つちや もとひろ)
慶應義塾大学 総合政策学部助教授
1970年生まれ。慶應義塾大学総合政策学部助教授。1999年慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科後期博士課程修了。博士(政策・メディア)。1999年、国際大学グローバル・コミュニケーション・センター(GLOCOM)講師・主任研究員。2001年から2002年までフルブライト研究員、安倍フェローとして渡米、メリーランド大学客員研究員、ジョージ・ワシントン大学客員研究員を兼任。2002年、国際大学グローバル・コミュニケーション・センター助教授・主任研究員。2004年1月、富士通総研経済研究所客員研究員を兼任。2004年4月から現職。専門は国際政治学、情報社会論。主著に『ネット・ポリティックス-9.11以降の世界の情報戦略-』(岩波書店、2003年)、『情報とグローバル・ガバナンス-インターネットから見た国家-』(慶應義塾大学出版会、2001年)、『ネットワーク時代の合意形成』(共著、NTT出版、1998年)等。

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