【ネット時評 : 境 真良(経済産業省)】
ネット上の「経済活動」に課税は可能か

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 バーチャルの活動と、リアルの活動は、時として全く違うように映り、また時として重なって見える。例えば「取引」ということについて考えてみる。ネットショップで物品を購入することは、ごく自然にリアルでの物品の購入の延長、準リアルと感じられる。同じ購入でも、ロールプレイングゲームで街の鍛冶屋から武器を買うことはどう考えてもリアルの取引とは違うもの、純バーチャルに思えるのに。

ネット上の「経済活動」とは

 この目のちらつきの原因は、そもそもこの「取引」というものがとても概念的な行為だという点にある。民法は関係者が事物の交換を合意しただけで、物品の引き渡しどころか金銭の授受もないのに「取引」が成立したと認めるくらいである。従って、その購入行為そのものだけをいくら観察しても判断はつかず、それが純バーチャルか準リアルかは、おそらく、物品というリアルな存在が手にはいるという事実、そしてその延長となるリアル貨幣の移動が起きるという事実から逆算的に決まるのだ。

 一般的に、バーチャルとリアルを巡る線引き問題は、荘子の「斉物論」に登場する「胡蝶の夢」と、テリー・ギリアムが監督した映画「未来世紀ブラジル」(1985年)の間の対立として現れる。荘子は、夢の中で蝶になっている自分と、リアル世界で生きている自分とを、等しく対峙(たいじ)するものとして捉えている。一方、ギリアムは「未来世紀―」の主人公にとっての夢を、寝台にくくりつけられて生きながらえている哀れな男の妄想だとおとしめた。やや哲学的すぎる考え方ではあるが、私たちの世界認識の限界として行為一つ一つはとてもバーチャルなもので、それだけを見れば、その行為がリアルかどうかは峻別できない。しかし、それが我々の身体とリンクしているかどうかでそれがリアルな行為かどうか線引きは可能だと我々は考えるし、しばしばそうしようとする。

 この「取引」という行為についても、同じ立場での線引きが可能であろう。多くの人は、食べ物や衣服を始めとした、日々の生活で必要なもの(あるいは、欲しいもの)を取引によって入手するために、交換の片方にあるだろう貨幣を手に入れようとして日々働いている。こうした取引の連鎖全体が、いわゆる「経済」の実態である。そういう意味での「経済活動」は、上記の線引きとしては準リアルに属する事がらとして、ネット上の観念的な「取引行為」からは切り出しうるはずのものである。

 いや、そうだったというべきかもしれないが。


RMTの実態

 ネットの上での全くバーチャルな体系が、リアルと予期せず結びつくことは、しばしば複雑な問題を引き起こす。その一端を、我々はMMORPG(Massively Multiplayer Online Role Playing Game、ネットワーク上で多人数が参加して一つの世界をシミュレートするタイプのロールプレイングゲーム)に関するRMT(リアルマネートレード)のジレンマに見出すことができるだろう。RMTとは、ゲーム内のアイテム交換に必要なポイントを、実際の通貨で売り買いする行為のことを指す。

 RMTは、最近のMMORPGが複雑かつ大規模化してクリアが難しくなっているという事情を考えると、「時間はないがお金はある」大人のプレーヤーにとっては便利で、嬉しいソリューションでもある。しかし、そのためにゲームの進行そっちのけでアイテム獲得のためにモンスター退治に精を出したり、他のプレーヤーが操作するキャラクターを倒して回るさながら追いはぎのような行為(日本人だけでなく、外国人による集団行為も数多く報告されている)を繰り返したりするプレーヤーが増えてくると、ゲームそのものの面白さが破壊されてしまう可能性もある。コアなファンやゲーム会社がRMTを毛嫌いするのも道理である。

 しかし、それ以上にRMTの論議が刺激的なのは、それを根絶する手段が存在しないことにある。その理由は、どんなゲーム会社もゲーム外世界でのプレーヤーの行為を監視することは不可能であり、プレーヤー同士のアイテム交換がRMTに起因するものかどうかは判別不能だという一点にある。RMTを禁ずる規定をゲーム会社が設けても、いや、たとえ国が法律で禁じたとしても、その規定の実効性は完全にはならない(抑止力はあろうが)。もし完全にRMTを止めるなら、結局はプレーヤー同士のアイテム交換というシステムそのものを停止しなければならないが、それは現実をできる限りシミュレートしようというMMORPGの基本的な考え方を大きく変えることになってしまう。それはそれでファンにとっては認めがたいだろう。

 結局、いかに論理や制度を構築するかは別にして、MMORPGはRMTという現象とある程度つきあっていかなければならない。それは、金融サービスが常にマネーロンダリングという現象と付き合わざるを得ないのに似ているかもしれない。


「経済活動」のバーチャル化と「貨幣」

 RMTの例が示唆するのは、我々の日常にごくありふれた「貨幣」には、私たちの活動のバーチャルとリアルの境目を揺るがす力があるということだ。
 実は、インターネットではなく、この「貨幣」こそ、経済行為をバーチャルにする革命的な発明だったのである。あえてこう言うと違和感があるのは、貨幣という存在が説明する必要もないほど私たちの皮膚感覚に染みついているからだろう。事実、大学の経済学部でも貨幣とは何かを教える講座は多くないし、私の知る限り、経済学者の中ですら、貨幣とは何かという議論を展開した論者も意外に少ない。しかし、貨幣があくまで人工の制度であることは明かである。

 そこで貨幣を論じた数少ない先達に従えば、貨幣とはあらゆる取引を媒介することができる、いわばユニバーサルメディアであり、物事の価値を表す指標でもあるということは間違いない。しかし、それゆえにマルクスは貨幣を持つことがあたかも物事を持つことだと思ってしまいがちな傾向(貨幣の自己疎外)を批判したし、ケインズはそこから貨幣の流動性には限界があることを説明した。

 こうした貨幣の機能は、「産業の自己疎外」とも言える現象を起こす。つまり、価値を生み出し消費するゲームであったはずの産業が、貨幣を増加させるゲームへと変質する。バーチャルな取引行為からリアルな経済行為を切り出すための基準だったはずのリアル性は、貨幣のこの力によって相対化されてしまう(同じように、MMORPGの変質もファンを失望させた)。

 他方、貨幣の本質は通用性(どんな取引でも使えること)と保存性(自然に滅失しないこと)とからなる取引媒介性にあり、裏返せば取引媒介性が保証されれば何でも貨幣になりうる。事実、貨幣は、貝殻から輝く金属へ、紙とその上の記号へ、そして今やシリコンチップに記録された単なるデータへとその有様を変えてきた。同時に、取引の効率化と安定をさらに進めるため、人類史上初の経済行為のバーチャル化であった貨幣と、そこから派生する金融という行為は、他の行為に率先してネットワーク上のサービスへとその形を変えてきた。

 考えてみれば、それが、現実をネットワーク上で再現することを目指したゲームとが結びつくことはごく自然なことだったのかもしれない。


バーチャル空間に領土と国民をいかにして見出すか

 先ごろ、「セカンドライフ」などネット上の仮想社会ゲームにおける“経済活動”に対し、米議会が課税を検討していると報道された。国家というものは、社会に存在する「仕事」を自己増殖させ、貪欲に税源を求めるものである。ネット空間での活動をお仕事にしている人が出てくるのなら、国家がそこに課税したいだろうことは納得できる。ただ、課税したいことと課税していいこととは別だ。

 「國」という文字は、領土と人民と軍隊の組み合わせであり、それはすなわち国家の基本要素であると言われる。確かに国家の基本権能の一つである徴税権は、原則として領土に帰属し、その領土内の人間に対して行使することが国際的に認められている。言い換えれば、いかなる国家の政府も、その実行支配する領土を越えて徴税権を及ぼすことは認められない。そこでこの問題は、またもやネットワーク上にいかにして国境を見いだすかという問題に読み替えられる。

 「またもや」というのは、その国境問題はこれまでもしばしばネットワーク管轄権の問題として論じられてきたからだ。これについては、とりあえず、そのサービスの提供対象が日本であるか、またはそのサービスを提供しているサーバーが日本にあるかであれば日本法の対象としてよい、とされてきた(日本ではプロバイダー責任法やその他の消費者保護法制にこうした考えが見られる)。

 しかし、これを課税の基準として単純に採用することは問題が多そうだ。というのも、前者を基準として徴税しようとしても、そもそもサービス提供者が国内にいない場合は取り立てすらまともにできない。その点では後者の基準を採るべきなのだろうが、徴税を回避するため海外にサーバーをおくことも可能であろう。これを根絶するためには国家が自国内のプロバイダーに対してそのサービスへの接続を禁じなくてはならないが、それはインターネットの精神と慣習には全く合致しない話で、賛同者は得られそうもない。つまり、仮に米国であれ、日本であれ、政府がこうした課税を行おうとすれば、おそらくそこからサービス提供者は逃げて行き、最後はバーチャルタックスヘイブンな南の島にでも逃げ込むだろうと予測できる。理屈上は、国家が適切なサービスをすればそれに見合った課税を行えるはずだが、実際に国家がネット空間上で能動的なサービスをしている例はほとんどないからしかたがない。

 そのようなわけで、セカンドライフというバーチャルな空間での経済活動に課税するために、その空間に領土と国民を見いだすのは難しいと思う。


仮想・現実間の「関税」~ただ一つの正統で可能な解

 しかし、僕には一つだけ、正統性と確実性がある方法が存在するように思える。それが為替管理を応用することである。

 すでに述べたように、「取引」そのものは全くバーチャルな行為としてネット空間上に遍在する。その中には、現実から逃亡するかのように、リアルな事物とは全く関係がないものどうしを両辺として行われるものもある(MMORPGも、そもそもそういうものなのだろう)。

 RMTが示唆するのは、それらの行為がなんであれ、この現実世界と結びつくのであれば、それは貨幣という一つのゲートを通らなくてはならないということだ。それもリアルな貨幣というゲートを。事実、セカンドライフは、ゲーム内通貨をリンデンドルという米ドルと可換なものにすることでこれをシステムとして保証しており、それが米国における課税論の一根拠ともなっているようだ。

 ここから示唆される「換金税」、言い換えるなら「バーチャル世界とリアル国家との間の関税」こそ、政府に残された適切な課税手段ではないだろうか。

 こういうことを言うと、それでいいのか、もっと直接的にバーチャル空間に課税しなければならないのではないか、という声も起きそうなものである。だが、そんな疑問を持つ必要はない。「未来世紀ブラジル」が私たちに見せつけるのは、どんなにバーチャル空間の中での経済活動に没頭したい人間も、リアルな自分の生を維持しないことには何もできない、言い換えれば、バーチャルな経済行為はどこかでリアルな経済にリンクせざるを得ないという事実だ。そのリンクする先には、必ずリアルな貨幣、つまり「国籍」がある貨幣がある。マクロ経済運営上、政府と中央銀行は流通通貨量を適切に保つ、少なくともそれを監視する権能と義務があり、ほとんどの国は(具体的制度態様は様々だろうが)通貨管理を行っている。この「外国通貨と自国通貨の換金」という通貨管理に、「バーチャル通貨と自国通貨の換金」を加えるだけで目的は達成される。
 それ以上の試みが国家の分を越えて貪欲な徒労であることは、すでに説明したつもりだ。


残存する問題

 と、ここで僕の論は終わりなのだが、一つ問題が残っている。

 リアル貨幣についての国家管理権は国際的に確立しており、わが国でも藩札などの部分貨幣は絶滅し、国家は一つの貨幣で統一された。そう考えられている。しかし、ICTの進歩は、ゲーム内通貨だけでなく、企業が購買者に発行するポイントその他の、国家通貨である「円」にとっても無視できない通用性と保存性を備えた「準通貨」ともいうべき存在を生み出している。もしバーチャル通貨が国家通貨ではなく、こうした準貨幣とのリンクを目指すとしたら、「対バーチャル関税」戦略は無効化されかねない。ひょっとすると、ここで論じたバーチャル通貨の議論は、こうした準通貨一般に拡大するべきものなのかもしれない。

 近年、マイレージに代表されるポイント制に対する出資法上の議論があったと記憶するが、それ以上に、これらを有力な私製貨幣、準通貨と捉えれば、様々な議論があるだろう。世の中が準通貨を生みだしたニーズというのも十分認識したうえで、見えにくくなったインフレや、準通貨が持っている部分経済の効率化への貢献といったものを踏まえ、この準通貨を経済学や産業政策のフレームにきちんと位置づけることが必要になっているように思えてならない。貨幣論は奥深い。

<筆者紹介>境 真良(さかい まさよし)
早稲田大学大学院国際情報通信研究科客員助教授
1968年生まれ。高校時代はゲームデザイナー、ライターとしてコンピューター分野で活動。1993年東京大学法学部卒業。同年、通商産業省(現経済産業省)入省後、資源エネルギー庁、瀋陽総領事館大連事務所勤務後、経済産業省メディアコンテンツ課課長補佐、東京国際映画祭事務局長、経済産業省商務情報政策局プラットフォーム政策室課長補佐を経て、2006年4月から現職。専門分野はコンテンツ産業理論。特にアジアにおける日本文化の波及現象については20年以上現場を追っている。国際大学グローバル・コミュニケーション・センター(GLOCOM)客員研究員(2006年)。
ホームページ
http://www.sakaimasayoshi.com/

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