【ネット時評 : 前川 徹(サイバー大学)】
SaaSの本質とソフトウエアのビジネスモデル

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日本のソフトウエア産業の弱さ
 
 日本のソフトウエア産業については「生産性が低い」「競争力がない」と言われることが多い。例えば、2007年4月に公開された経済産業研究所のディスカッション・ペーパーは次のように述べている。
 

 「日本のIT産業はハードウエアと比較してソフトウエア産業の生産性が低いといわれている。その背景としては労働集約的な受注ソフトウエア比率が高いことや中小企業が中心で重層的な下請け構造が影響していると考えられる。」(峰滝和典、元橋一之「日本のソフトウェア産業の業界構造と生産性に関する実証分析」RIETI DISCUSSION PAPER SERIES 07-J-018、平成19年4月)

 また、平成19年版情報通信白書は「日本のソフトウエア産業の弱さの要因の一つとして、受託開発ソフトウエアと比較して、パッケージソフトウエアの比 率が低いことがある。」(平成19年版情報通信白書、p.114)と記述し、米国ではソフトウエア産業の売上高の約65%を占めるパッケージソフトの割合が、日本は17%弱にすぎないことをグラフで示している。


パッケージソフトと受託開発ソフト

 成功しているという条件をつければ、パッケージソフトを専門とする企業の方が、受託開発ソフトを専門とする企業より、労働生産性が高くなるのは当然のことである。パッケージソフトの場合、開発に要する初期費用は大きいが、複製に要するコストはほとんどゼロに近いため、販売本数がどれだけ増えようが労働投入量はほとんど増えない。したがって、販売本数が多いパッケージソ フトをもつソフトウエア企業ほど、その労働生産性は高くなる。

 一方、受託開発ソフトの場合には、売上が10倍になれば労働投入量も10倍程度増加する。このため、売上が増加しても労働生産性が向上するとは限らない。この結果、パッケージソフトの割合が大きい米国は、受託開発ソフトが多い日本より労働生産性が高くなる。極めて当然のことである。

 この結果、パッケージソフトを専門とする企業と受託開発ソフトを専門とする企業では利益率が大きく異なる。

 たとえば、米国ソフトウエア企業の直近の決算から、売上総利益(粗利)を売上高で割った売上総利益率(粗利率)をみると、マイクロソフトは79.1%、オラクルは 76.7%、アドビシステムズは88.8%であるのに対して、米国の代表的なシステムインテグレーター(SIer)であるEDS(ロス・ペローが創業した世界屈指のSIer)は14.4%、コンピュータ・サイエンシズ・コーポレーション(CSC)は20.5%でしかない。


似て非なる産業

 パッケージソフトの場合、売上(販売本数)が増加しても、全体のコストはそれほど増加しない。ということは、売上当たりの平均費用が減少し、利益率が上昇する。つまり、経済学で言う「規模の経済」が強く働くことになる。

 一方、受託開発ソフトの場合には、売上の増加によって平均費用が大幅に低下するという現象は起きない。つまり「規模の経済」があまり働かない産業だ。経済学からみれば、この2つの産業は、まったく別種のものなのである。

 ところで、日米の産業分類をみると面白いことが分かる。日本では、「受託開発ソフトウエア業」(産業分類番号は3911)と「パッケー ジソフトウエア業」(同3912)は、同じ「ソフトウエア業」(同391)として分類し、多くの統計はこの2つを並べて扱っている。

 しかし米国政府の統計は、受託開発ソフトウエア業を「カスタム・コンピ ュータ・プログラミング・サービス」(北米産業分類番号は541511)に、パッ ケージソフト業を「ソフトウエア・パブリッシャー」(同511210)に分類し、それぞれを「専門・科学・技術サービス産業」(同54)と「情報産業」(同51) とまったく異なる産業として分類している。

 奇異に感じるかもしれないが、日本のソフトウェア産業の生産性が低いのは、 パッケージソフトウェアと受託開発ソフトウェアをまったく別種のものだと考えなかったことに起因しているかもしれない。


サービス型のソフトウエア

 最近、ソフトウエア業界ではSaaS(サース)に注目が集まっている。SaaSと は、Software as a Serviceの略で、直訳すれば「サービスとしてのソフトウエア」であり、「従来、ソフトウエアが提供していた機能を、インターネットを通じてサービスとして提供(販売)する仕組み」である。通常、ユーザーはウェブブラウザーから、ネットワークの向こう側にあるソフトウエアを利用する。

 SaaSをユーザー側からみれば、ソフトウエアを所有するのではなく、ネットワークを介して利用することになる。この仕組みは電力に例えると理解が容易である。つまり、発電所を社内に設置して電力を利用するのではなく、電力会社の発電所で発電された電力をコンセントから必要に応じて利用する形態 である。一言でいえば、情報システムを「所有から利用」に転換するものだと 位置づけられる。

 一方、SaaSをベンダー側からみると、「ドリルを販売するビジネスモデル」で はなく「壁に穴をあけるサービスを提供するモデル」だと表現することができる。マーケティングの大家、セオドア・レビット氏(Theodore Levitt)が「マーケティング発想法」に 「顧客は4分の1インチのドリルが欲しいわけではない。4分の1インチの穴が欲しいのだ」と書いたように、ユーザーが必要としているのは情報システムそのものではなく、その情報システムが提供する情報処理機能(能力)なのだから、それをベンダーがネットワーク経由で直接提供するサービスがSaaSだということになる。


SaaSの本質

 SaaSには「シングルテナント方式」のものと「マルチテナント方式」のものがある。

 シングルテナント方式とは、利用企業毎に論理的に別のシステムを対応させる方式で、利用企業の要求に応じてソースコード(ソフトウエア)を修正することが多い。自由にカスタマイズできるというメリットがある一方で、利用企業によってソフトウエアのバージョンが異なってしまうというデメリットがある。

 マルチテナント方式とは、1つのソフトウエア・バージョンで複数の利用企業にサービスを提供する仕組みで、このためにはソースコードを改変することなく、利用企業のニーズに応じてカスタマイズできるような仕組みを備えていなければならない。SaaS企業として有名なセースルフォース・ドットコムやネットスイートが提供しているSaaSは「マルチテナント方式」である。

 シングルテナント方式の場合には、利用企業ごとに異なるソフトウェア・バージョンを管理しなければならないため、利用企業が増えればそれだけ管理コストも増大する。しかし、マルチテナント方式の場合には、利用企業が増えても、管理コストはそれほど増大しない。つまり、マルチテナント方式のSaaSは、パッケージソフトと同様に「規模の経済」が大きく働くビジネスなのであ る。パッケージソフトの場合には、ソフトウエアの設計・開発のプロセスで規模の経済が働くのだが、SaaSの場合には、設計・開発のプロセスに加えて保守・運用のプロセスでも規模の経済が働く。

 したがって、マルチテナント方式のSaaSはパッケージソフトと同様に、利用企業が増えれば利益が増大するだけでなく、「利益率」が上昇する。セースルフォース・ドットコムやネットスイートの粗利率をみると、それぞれ77.1%と68.9%である。

 同じSaaSに分類されても、シングルテナント方式のSaaSはSIビジネスと同じように儲けの薄いビジネスであり、マルチテナント方式のSaaSはパッケージソフトのように規模の経済が大きく働くビジネスである。規模の経済が強く働く市場では、「一人勝ち(Winner takes all)」になる可能性が高くなる。

 こうしたことを考えると、マルチテナント方式のSaaSを育てていくことが、日本のソフトウエア産業の未来を明るくするのではないだろうか。

<筆者紹介>前川 徹(まえがわ とおる)
サイバー大学 IT総合学部 教授
1955年生まれ、名古屋工業大学情報工学科卒、78年に通産省に入省、機械情報産業局情報政策企画室長、JETRO New York センター産業用電子機器部長、情報処理振興事業協会(IPA)セキュリティセンター所長、早稲田大学客員教授(常勤)、富士通総研経済研究所主任研究員を経て、2007年4月より現職。早稲田大学客員教授(非常勤)、富士通総研経済研究所客員研究員を兼任している。

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コメント一覧

前半のソフトウェアビジネス分析は大変分かり易く日経の一般記事として貴重なもとの思います。
後半は別記事のほうが明快な説得となるとの印象を持ちました。

投稿者 : masatsugu kitamura, tokyo 2008-4-10 13:32

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