【ネット時評 : 増田幸弘(編集者)】
核なき世界へ「Yes, we can」オバマ演説現地ルポ

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 去る4月5日、アメリカのオバマ大統領が筆者の在住するチェコのプラハでスピーチした。折しもこの日、北朝鮮が「人工衛星」を搭載していると主張する長距離弾道ミサイル「テポドン2号」を発射。これに対してオバマ大統領が「ルールを破った」と、北朝鮮を非難している映像が日本のメディアで何度も流れたと聞く。
 

 しかし、それは30分にも及んだこのスピーチの意図や真価を正しく伝えているとは思えない。混迷する情勢のなか、「核兵器なき世界」へ向けた包括構想を具体的に明らかにし、21世紀のあるべき世界のありようを明確に示した、ある意味で歴史的な演説であるからだ。

 オバマ大統領はなぜこの演説をプラハで行ったのか。大統領を迎えるチェコはどのような国で、どのような経済・政治状況にあるのか。そしてプラハ市民はオバマをどう見たのか。現地で見た、オバマ大統領プラハ訪問の背景を写真をまじえてリポートする。


「地獄への道」とレーダー施設

演説会場から見えるプラハの街並み

 チェコの潮目が大きく変わったと感じたのは昨年の暮れ近くになってのことだろうか。夏のころは1コロナ(チェコの通貨単位)8円近くになり、このまま10円にまでいくのではないかと思えたが、年末から3月にかけ、為替レートは4円近くと約半額にまで下落。対ユーロ・対ドルも下落して、近い将来導入が予想されるユーロへの切り替えを高値で逃げ切る絶好の機会を逸した(かつての盟友スロヴァキアは2009年1月1日からユーロに切り替わった)。

 バブル崩壊の兆候を示しながら、政府もメディアも「バブル崩壊」という言葉を慎重に避け、「問題はない」「一時的なものだ」と、強気を押し通しているように感じられた。この自信がいったいどこからくるものなのか、正直、よくわからなかったりするのだが、それは良きにつけ悪しきにつけ、いまのチェコらしさでもある。

 その点が「100年に一度の大不況」と絶望的な気分がまん延し、事業の縮小や倒産が相次ぐ日本とは大きく違う点だ。実際、チェコに進出した日系企業は景気の動向に敏感な反応を示し、工場での生産調整を行う一方、この春を境にして日本に帰国する人が相次いでいる。急きょ辞令が下って日本の本社に呼び戻され、荷物をまとめてばたばた帰国した知人もいる。チェコに赴任するため、引っ越し荷物を送ったにもかかわらず、赴任が取りやめになったという、泣くに泣けないケースもあると聞く。こうした状況にさらなる追い打ちをかけるかのように、日立製作所のプラズマテレビ生産工場が閉鎖・撤退を決めた。2007年、巨費を投じてチェコに進出し、操業をはじめたばかりだったのだから、よほどのことである。

 2008年9月末時点で、チェコにはおよそ230社もの日本企業が進出していた。その多くはヨーロッパ向けの製品を製造する生産工場で、トヨタ自動車やパナソニック、ダイキン工業などが大規模な工場を建てた。ヨーロッパにおける戦略的な拠点としてこうした日系企業がチェコを選んだのは、チェコがヨーロッパのほぼ中央に位置しているという地理的な条件のほか、質の高い労働力が安価に集められることや、政府による優遇政策などが背景にあった(現在、チェコ人の人件費は全体的に上昇し、安価な労働力とはいえなくなっている。このため、ウクライナ人やモンゴル人、ベトナム人ら、多くの外国人労働者がチェコに出稼ぎにきていたが、昨今の不況で解雇が相次ぎ、社会問題になっている)。

 こうした企業の進出にともない、多くの日本人がチェコに暮らすようになった。その伸びは目を見張るものがあり、日本大使館のデータによれば、2000年に482人(うち永住者42人)だったものが、2006年には1705人(うち永住者189人)と急増してきた。しかし、その流れが大きく変わったわけである。

 もちろんそれは世界的な不況が大きな原因であり、チェコは巻き込まれた形だ。一時、チェココロナは1コロナ=5円程度にまで持ち直したものの、ふたたび下落傾向にある。ユーロとドルに対しても同様だ。日本をはじめとした各国企業の下請け工業国となっているチェコは、現在世界をおそっている経済危機の影響をもっとも受けやすいと市場が見たためとの観測が流れている。

 共産体制時の国営企業を民営化していくなかで、その多くは外国資本に飲み込まれ、繊維やガラスなど、もともとチェコが得意としていた産業は低迷。繊維は壊滅的な状態となり、大手ガラスメーカーも経営が思わしくない。経済成長の影で、“チェコらしさ”は失われ、空洞化が進んだというのが、1989年のビロード革命で共産体制が終焉(しゅうえん)してから20年目を迎えるチェコの現状である。

「地獄への道」発言をしたトポラーネク首相

 不況による急速な経済状態の悪化にしびれを切らしたのか、チェコのトポラーネク首相は3月25日、フランスで開催された欧州議会で、「アメリカの景気対策は地獄への道だ」と、オバマ大統領を批判した。なんとこれはロックバンドAC/DCの「HIGHWAY TO HELL(地獄のハイウェイ)」という曲に触発されたものかもしれないと、首相自身が言うのだからおそれいる(ちょうどAC/DCのライブがプラハであったばかりだった)。

 「地獄への道」と批判されたそのオバマ大統領が、アメリカと欧州連合(EU)との初の首脳会議に出席するため、4月4日から2日間にわたってプラハを訪れることは市民の高い関心を呼んだ。よりによってプラハなのは、チェコがEUの議長国だからである。そして関心を強めていたのは、アメリカが欧州ミサイル防衛(MD)計画の一環として、チェコ国内にレーダー施設を建設する計画を進めているからである。計画を認めるかどうかはチェコ議会の大きな焦点となり、国民の3分の2が反対しているとされた。普段から多くのデモが行われ、ミサイルに×をつけたシールもプラハの街中で目につく。戦争に巻き込まれたくないとの意思表示である。

レーダー基地設置の反対デモのポスター

 オバマ大統領のプラハ訪問は、そんな波乱含みのなかで実現した。「核不拡散に関する重大なスピーチが行われる」との事前情報が流れ、どこでスピーチするのかが関心を集めた。しかし、混乱を避けるためか、ぎりぎりまで場所も時間も公表されなかった。


プラハ、演説前夜

 結局、プラハ城正門前に広がるハラチャンスケー広場で4月5日午前10時からという予定が発表された。そしてセキュリティーのために持ち物制限が行われるとの警告がメディアを通じて盛んになされた。アメリカ大使館のホームページには、銃や爆弾はもちろん、バックパックや傘など、禁止されるものが細かくリストアップされた。さらにメディアではカメラや携帯電話もだめだと書き、とにかく何も持ってこないようにしたほうがよいと呼びかけていた。その一方で、カメラや携帯電話はかまわないとするメディアもあるなど、情報は錯綜し、スピーチを聞きに行こうとする人たちはみな戸惑うしかなかった。

アメリカ国旗をペイントした若い女性

 プラハの空港に到着したオバマ大統領が市内のホテルに向かう際に通るエヴロッパ(ヨーロッパ)通りに面した建物の住人には、部屋の窓を開けないようにとの警告もなされた。開けると狙撃犯に疑われ、射殺される可能性があるとのことだった。2007年、ブッシュ前大統領がプラハを訪問したときの厳しい警備体制も引き合いに出され、オバマ大統領を迎えるプラハは、万事がこのような緊張に包まれていた。それでいて「時の人」を迎える華やいだお祭りムードもあったのはたしかだった。その点はブッシュのときとの大きな違いだろう。

 4月3日、オバマ大統領によるスピーチの模様を撮影するため、申請していたプレスカードを受け取りに、アメリカ大使館に隣接するアメリカンセンターへ出向いた。3日4日の両日中に受け取る必要があった。受付の部屋ではほかにも何人かの記者やカメラマンが並んでいた。希望者が多く、プレスカードの発給は4倍近くの競争率だったと、大使館職員は説明していた。幸いぼくはプレスカードを受け取ることができたが、顔見知りのイギリス人フリー記者には発給されず、その代わりに「招待状」が配布されていた。説明によると、その「招待状」があれば特別にコンパクトカメラを持ち込むことができ、一般客と混じって取材活動ができるとのことだった。

 スピーチ会場がどのようになっているのか、下見に出かけた。アメリカ大使館から坂を上って会場の広場に向かう道は観光ルートでもあり、散歩がてら歩いていこうかと思ったが、通行が制限されているようで、警官に制止された。もしかするとプラハ城への入場も制限されているかもしれない、とトラム(市電)でプラハ城にいくと、いつも通り多くの観光客でごった返していた。その傍らで会場の設営作業をしている。オバマ大統領がスピーチをする場所や、プレス用の撮影スペースの土台が組み立てられていた。大統領を迎える準備は着々と進んでいた。

 5日は朝7時に開場し、スピーチは10時に始まる予定だった。取材記者の入場時間も7時とのことだったが、アメリカ大使館のホームページを見ると、「専門機器のセキュリティーチェックを午前3時から4時のあいだに行う」とあった。「専門機器のセキュリティーチェック」とは何か、いまひとつ要領を得ない。そこでチェコ語のホームページを確認してみると、「テレビ用の大型機器」と具体的に記してあった。生放送をするテレビ局の中継車のことを指しているのではないかと考えた。

 そうであれば7時に出向けばよいのだろうと安心したが、夜11時ごろ、床に就く前に再度ホームページを確認すると、チェコ語のサイトも「専門機器のセキュリティーチェック」と曖昧な表現に変わっていた。最後の最後まで、こんなふうに情報は錯綜した。それは大統領を迎える混乱ではあろうが、いつものチェコらしさでもあった。とにかく3時に始まるチェックには行ったほうがよさそうだと感じ、タクシーに予約の電話を入れた。

 オバマ大統領はといえば、4日の夕方プラハに到着し、ミッシェル夫人とプライベートな時間を楽しむ予定だった。しかし、飛行機の到着が遅れたため、予約していたとされるプラハ城下にある見晴らしのよいレストランに姿を現すことはなく、宿泊先のヒルトンホテルから外出することさえなかった。それでも一部報道陣はホテルで大統領が外出する機会をうかがった。

 スピーチが行われるハラチャンスケー広場にタクシーが着いたのは午前2時30分のことだった。車止めがあり、広場の手前で車から降りた。さらにその先、広場の入り口のところが封鎖され、警察や軍が警備していた。プラハの街はまだ寝静まっていたが、すでに20人ほどの人が待っていた。プラハに留学中というアメリカの学生が目についた。報道陣もCTKというチェコの通信社のカメラマンがすでにきていた。彼らも情報がハッキリしないので早く来たと漏らしていた。警察官に状況を尋ねたが、よくわからないようで、とにかくアメリカ大使館の職員が来るまで待つようにとの指示だった。

 予定通り3時に大使館職員が来て、集まっていた10人ほどの各国報道陣の機材チェックをすることになった。機材一式を一カ所に集め、それを軍用犬がチェックするのである。爆発物の検査のようだ。チェコ軍の兵士に連れられたシェパードがぼくのカメラバッグの匂いを執拗に嗅いでいる。

 もちろん問題となるようなものが入っているわけではなかった。それなのに犬はカメラバッグのところでお腹を兵士に見せ、ごろごろしている。各人の機材は兵士によって一つひとつハンドチェックされることになった。ぼくが目をつけられていたわけではないとは思うが、担当した兵士はカメラのあいだに入れておいたハンカチに包まれたものに興味を示した。それは炊きたてのご飯でつくったおにぎりだった。何時間待つかわからなかったので、弁当を持参したのである。

「朝ご飯です。これは寿司のようなものです」

 そういうと兵士は笑った。寿司はチェコでもちょっとしたブームになっている。軍用犬はおなかがすいていたのか、おにぎりに反応したようだ。眠たさもあって、それで戦意を喪失したらしい。もっともその軍用犬の名誉のために書き添えると、ぼくらのチェックが終わったあと、次に呼ばれた報道陣のチェックではきちんと任務を遂行していた。

 報道席に三脚と脚立をセットして場所取りを終えると、チェックの済んだ機材をそのまま残し、ふたたび兵士に引率されて外に出た。次は朝7時に来ればよいというので、いったん帰宅することにした。おにぎりはバッグに入れたままだった。


オバマ登場

 オバマ大統領のスピーチ会場となるハラチャンスケー広場に通じる道はいくつかある。しかし、スピーチ当日アクセスできるのは平行して走る2つの通りだけで、あとは通行が封鎖されていた。このあたり、中世から続くプラハの戦略的な都市構造を見て取ることができる気がした。封鎖されたのはいずれも坂の道だ。

 ふたたび広場に着いたのは、開場となる7時少し前だった。人びとはすでに列をなして並んでいたが、100メートルぐらいだろうか。もう少し短いかもしれない。思ったよりも多くはなかった。「オバマに会いたい人はとにかく朝早く会場に来るように」と、メディアを通じて盛んに喧伝されていただけに、少し拍子抜けした。

 とはいえ、7時に来たとしても、スピーチ開始が予定される10時までいったいなにをして過ごせばよいのか。トイレがあるかもよくわからない。スピーチを聞きたいと思う人の出足が鈍かったのは、そんなこともあってのことだったのだろう。時間が経つにつれて訪れた人が長い列をつくるようになった。

多くの警察官や兵士が警備に当たった

 開場がはじまると、空港同様のセキュリティチェックが行われた。携帯電話や財布、ベルトなどをはずし、金属探知機をくぐる。こうしたチェックに慣れていない入場者もあり、何度も何度もやり直したケースもあったのだそうだ。7時の開場に合わせて集まった報道陣の機材チェックも別途おこなわれていた。

 会場はプラハ城を背にして、左手にオバマ大統領のスピーチ台、右手に撮影スペースがあった。スピーチを聞きに訪れた人が集まる場所は大きく2つに分けられ、スピーチ台を取り囲む前方には招待状をもった人が誘導され、招待状を持たない一般客はその後方に集められた。前方にはアメリカからわざわざ来た人とおぼしき人のグループのほか、各国の大使館関係者の姿も散見された。この区分はセキュリティーを考えてのことだろう。

 開場してほどなくすると、スピーチ台の近くに設営された特設ステージでバンド演奏がはじまった。待ち時間のあいだ、来場者を退屈させないようなプログラムが組まれていると予告されていたが、まさにお祭り騒ぎの幕開けにふさわしく、会場は楽しげな雰囲気に包まれた。

プラハ城正門内でおこなわれた歓迎式典の様子

 キャデラックのリムジンに乗ったオバマ大統領が会場に到着すると、会場はどよめきたった。そして、オバマコールが巻き起こる。大統領というよりも、ロックスターかなにかに対するような印象だ。プラハ城の正門内では、チェコ大統領のヴァーツラフ・クラウス夫妻に導かれ、アメリカ国歌とチェコ国歌が流れるなか、オバマ夫妻の歓迎式典が行われている。特設ステージなどに隠れてよく見えないのだが、その様子はスクリーンに大きく映し出された。

 それからオバマ大統領はプラハ城内でクラウス大統領およびトポラーネク首相と会談するため、いったん姿を消した。しかし、オバマ大統領が姿を見せたことで、お祭りムードはよりいっそう強まった。特設ステージでのロックの演奏もいっそう熱を帯び、そのころには広場は人で一杯になっていた。

 会見を終えたトポラーネク首相がまず姿を現した。「地獄への道」発言の人である。経済運営の失敗についての責任を問われ、すでに辞任が決まっていたが、いつになく上機嫌に集まった人たちと握手を交わしていた。その胸中はうかがい知れないものの、複雑なものだったに違いない。ついでクラウス大統領が姿を現した。

 二人が姿を現すと、「トポラーネク首相というのはどちらの方か」とか、「“地獄への道”と言ったのはどっちだ」とプレスのカメラマン席ではあちらこちらで囁かれた。アメリカやフランスなどから来たカメラマンはどちらがトポラーネク首相なのか、わからないようだった。オバマ大統領と並び、トポラーネク首相も各国のメディアにとって「時の人」になっている様子だった。

 それから前方の人たちに、小さなチェコの国旗とアメリカの国旗が配られた。もちろんオバマ大統領への歓迎ムードを高める仕掛けのひとつだろう。事前に準備されているのだから、ぎりぎりになってから配ったりせず、もっと前に配ればよいとは思うが、このあたりはチェコならでは。のんびりしたものである。液体の持ち込みが制限されているため、国旗と合わせ、ミネラルウォーターのボトルも配られた。喉が渇いていたのだろう、集まった人たちは奪い合うようにして取り、飲むと次に回していた。

スピーチ台に立つオバマ大統領とミッシェル夫人

 オバマ大統領がミッシェル夫人とともにスピーチ台に現れたのは、それからしばらくしてからのことだった。ステージを二人でぐるりと回ると、夫人だけステージを降り、オバマ大統領がスピーチをはじめた。


チェコの心をつかんだ演説

「Thank you」

 そう口にした途端、会場は歓声の渦に包まれた。ロックコンサートで最初の曲のイントロが流れたときと同じような熱気が一瞬にして高まった。そして、一呼吸を置いてから、「このすばらしい歓迎に感謝します。プラハの市民のみなさん、どうもありがとう。そして、チェコの国民の方々に感謝します」と続けた。

右手の銅像がチェコ初代大統領のマサリク

 感謝の意を表したあと、チェコの歴史に一歩踏み込んだスピーチをする。1918年、チェコスロヴァキア共和国が独立するに先立って、初代大統領に就任することになるトマーシュ・マサリクがオバマ大統領の生まれ故郷であるシカゴで演説したときのことを切り出したのである。オバマ大統領がスピーチをするまさにその目の前に、マサリクの銅像がある。この瞬間、オバマ大統領は集まったチェコの人びとの心を鷲づかみにしたといっても過言ではない。なんとも巧みなスピーチだ。

 この日集まったチェコの人の多くは、計画されているレーダー基地建設の白紙撤回を宣言することを期待していた。核拡散についての重要なスピーチとなるとの予告を、そのように解釈していたのである。だからだろうか。スピーチに静かに耳を傾けているかと思ったら、大きな歓声を上げて喜んだりしていた。英語によるスピーチの内容をきちんと理解していたチェコの観衆がどれだけいたかはさておいて、30分あまりに及ぶ長いスピーチのあいだ、みなオバマの発する一言一句に固唾(かたず)を飲んでいたのは確かだった。

スピーチをするオバマ大統領

 しかし、オバマ大統領はチェコの人たちが期待するレーダー基地の白紙撤回の宣言をすることはなかった。が、その内容はそれを上回るものなのではないかと感じた。アメリカが世界をけん引し、「核のない世界」をめざすと語ったからである。それは核兵器を広島・長崎に対して実際に使用したアメリカの責務であるとした。「核のない世界」であれば、レーダー基地も将来的には不要になるという含みも当然あるだろう。さらに現在の世界的な経済危機や気象変動の問題にも触れた。まさにオバマ大統領が集まった人たちに向けて語りかけているのは、21世紀がめざすべき世界のありようであり、未来への指針だった。

歓声を上げる聴衆

 オバマ大統領をファインダー越しに追いながら、耳に飛び込んでくるスピーチの内容にゾクゾクするものを感じていた。時代に閉塞感を覚え、身動きがとれないほどがんじがらめになっていると感じてきた頭のなかに、さわやかな風が吹き抜けていくようだった。それは集まった2万人といわれる観衆も同じだったに違いない。

「Yes, we can.」

 オバマ大統領は自分が生きているあいだに実現できるかどうかわからないが、しかし「私たちはできる」と力強く語った。その瞬間、広場全体がどよめいた気がする。

 スピーチが終わると、ミッシェル夫人がふたたび壇上に現れ、そして二人は訪れた観客とゆっくり握手をして回った。最前列の人ばかりではなく、奥からも手が伸びていた。大統領の頭をなでる人もいたが、いやな顔ひとつせず、笑顔を絶やさないでいる。アメリカの大統領というと、とても遠い存在だとこれまで感じてきたが、オバマ大統領を撮影しながら、気さくで庶民的な印象で、大統領を撮っているという気がしなかった。

聴衆と握手するオバマ大統領

 スピーチを終えたオバマ大統領が姿を消すと、その余韻を楽しむかのように多くの人がしばらくその場に佇んでいた。何事もなかったことに、警備していた警察官らには笑顔が浮かんでいた。みな憑(つ)きものが取れたような穏やかな表情を浮かべていた。それはオバマ大統領のスピーチがもたらした効能といってもよさそうだった。知らぬ間にソーセージ屋さんの屋台が出ていて、芝生のうえにすわり、ホットドッグを頬張る人がいた。ぼくはぼくで、早朝、セキュリティチェックの軍用犬がおなかをすかせたおにぎりを口にした。


オバマが示した未来

 スピーチがあったこの日の早朝、折しも北朝鮮からミサイルの発射があり、日本を揺るがす騒ぎになった。オバマ大統領はその知らせを受けてスピーチにのぞんだ。そして、「北朝鮮は長距離ミサイルとして使用することもできるロケットのテストをすることで、いまいちどルールを破った」と名指しで非難した。

 実は社会主義国だったチェコは北朝鮮との国交があり、北朝鮮の大使館もプラハにはある。が、だからといって北朝鮮も日本も遠い東の国であり、スピーチを聞いている観衆も、あるいはメディアの対応も、「遠い国の出来事」という印象だった。それはプラハでおこなわれたスピーチでオバマ大統領が北朝鮮を非難したことが特にクローズアップされて報道された日本も同様だろう。このスピーチは多くの日本人にとって、「遠い国の出来事」だったわけである。

 インターネットとグローバリゼーションにより、世界は以前よりずっと狭くなり、以前にも増して一見関係のない要素が影響し、反応し合うようになったにも関わらず、政府もメディアも見て見ぬふりを決め込む。いまという時代を正面から見据えた包括的なオバマ大統領のスピーチは、アメリカの大統領という立場を越え、ある意味、哲学的な意味合いさえ帯びている気がしてならない。

 世界的な不況はまだ出口が見えていない。環境問題も深刻な様相を呈している。地球全体がこれまでにない危機に直面し、混迷を深めている。それでもオバマ大統領のスピーチを聞いているうち、こうした諸問題は私たち人類が解決して行かなくてはならないことであり、それはたとえ多くの困難があろうとも、私たちにはできる(Yes, we can.)のだと、一本の筋道が目の前に開けた。過去よりも現在、そして未来のほうが必ずすばらしい。そのために私たち一人ひとりが日々努力をしているのだ、絶望することはない――そのことをハッキリと示したオバマ大統領のプラハでのスピーチは、21世紀の指針として歴史に残るものになるだろう。

<筆者紹介>増田 幸弘(ますだ ゆきひろ)
編集者
1963年、東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒。編集者(やや文筆業)。チェコ共和国プラハ在住。チェコを拠点にヨーロッパ各地を取材。新聞・雑誌に特集記事や連載記事を執筆。著作に「プラハ カフカの生きた街」(パルコ出版、編著)、「ルポルタージュ よい野菜 全国91産地を歩く」(日本経済新聞社、共著)、「日本地理おもしろ雑学」(日東書院、著書)などがある。

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